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2013年3月 2日 (土)

歴史におけるロゴスとミメーシス(1)

 啓蒙主義以来のこうした社会観、歴史観は人間社会を一種の自然現象とみなし、その自動作用の法則を物理学もどきの方法を適用して解明できると考える。これは幻想であり、しかも人間存在につきまとう根本的なパラドックスを無視し封殺する有害な思想である。人間は高度に発達した労働の分業や社会組織なしには生きられない存在であるが、にもかかわらず動物のような予めプログラム化された集団形成の本能を欠いている。だから人間は社会秩序を自力で創造し、その秩序に拘束されることに自発的に同意するほかはない。そしてこうした秩序の創造に決定的な役割を果たすのが、人々の相互に模倣しあう能力である。
 関曠野 『民族とは何か』講談社現代新書(2001年) P.174

 人間はその個体差によって互いに異質な存在でありながら、人類の成員としては似かよった存在でもある。人々が完全に異質でも同質でもないことが模倣を可能にする。そして動物にみられるような本能によりプログラム化された模倣と異なり、人間は特定の模範の模倣という形でその行動を未来に向けて計画し組織する。模倣は人間社会における最も根本的な現象であり、なかんずく社会の秩序はさまざま模範に倣うことの上に成立している。社会はシステムではない。そして模範の模倣によって形成される秩序は、あくまで暫定的で流動的なものでしかありえない。というのも、その根底には人間には集団形成の本能など存在せず、どんな秩序もそれを成立させている模範が説得力を失えばガラス細工のように壊れてしまうという厳然たる事実があるからである。
 関曠野 『民族とは何か』講談社現代新書(2001年)、PP.174~175

 このミメーシスの観点からすれば、歴史はシステムではなく、さまざまな模範の系譜学として解釈される。
 関曠野 『民族とは何か』講談社現代新書(2001年)、P.175

歴史におけるロゴスとミメーシス(2)へ続く。

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