中野三敏『江戸文化再考:これからの近代を創るために』笠間書院(2012)
■中野三敏氏関連
著者は近世文学研究の泰斗。すでに本ブログでも関連記事を数編書いている。
①近世文化の最盛期としての18世紀徳川日本
②徳川前期の「文明開化」
③未踏の江戸時代
④未踏の江戸時代(2)
本書の元になったのは、著者が平成22年の秋、東京・立川の国文学研究資料館で行った5回の講演記録。
全体の内容は、本記事最下段の詳細目次をご覧いただきたい。私自身は、第三章、第四章に興味を引かれ読んだのだが、実際に衝撃を受けたのは、第一章、第五章。
そのからみで、検索をかけていたら、たまたま、著者の九州大学図書館での講演に行き当たり、紹介記事にしたのが、③未踏の江戸時代。
■衝撃の事実
といっても、正直言えば私が無知だったのに過ぎない。これでも本読みとして多少の経験はあり、相当数の本を読んできたつもりでいたし、文系から理系までかなりの拡がりと深さの知識を駆使できると自負していた。
ところがどっこい、著者の指摘で、基本的なことで全くの無知であることに今さらながらに衝撃を受けた次第。
ポイントは、《現代日本人は、徳川日本のことについて、ほとんど何も知らないに等しい》ということ。
詳らかにいうと、衝撃の事実とは、現代日本人が図書館、書店等でアクセス可能な、活字に翻刻された徳川期の古典(文学や思想書など)は、徳川期に成立した書物のたかだか1%に過ぎない。それも《明治維新の大業》が成し遂げた素晴らしい事跡を前提として、そこから過去に遡及し、系譜として認定できそうなことなら、《褒めてやろう》という観点からピックアップされた書物だけが翻刻され活字化されてきた、ということになる。
現代日本で、多少ともインテリの自負のある者なら、例えば、岩波古典大系やら岩波思想大系やらを折にふれた読むことで、少なくとも自分は《日本の古典》に触れてると自惚れているいるわけ。私も含め。ところが、そんなものは徳川期に出版された書籍の氷山の一角であり、そのなかに《近代》を異化し、《近代の価値観》にけたたましい不協和音を起こすものなど、維新史観による《無意識の検閲》によって、ほとんど含まれていなかった可能性が極めて高い、ということな訳である。
この事態は、狩野亨吉が安藤昌益『自然真営道』百一巻九十三冊の存在を知ったのが、明治33年彼の許へたまたま古書店主がそれを持ち込んだ偶然がきっかけだった、という事例を想起させる。その過激な思想に、狩野亨吉は明治末年の国家主義の気運を憚って発見の公表を暫くためらってもいた。
つまり、狩野亨吉クラスの大読書人でも知らない徳川期本があった。そして、徳川中期京都の本屋から全百一巻九十三冊で板行されていたのに当時の他の文献に全く名が出てこない思想家が実際いて、現代の研究者・古書業者がたまたまそれを眼にしても、「価値なし」とされて、紙くずとなっていたりして、闇から闇へ消失してしまう(しまった)文献が日々猛烈な勢いであるかも知れない、ということ。実際、狩野亨吉は、古書店主に「あなたが手元に置かなければ、反故になります。」と脅迫まがいの懇願をされて渋々『自然真営道』を購入することにしている。
■和本リテラシー
でその99%の徳川期本は、変体仮名+草書体漢字で印に付されているいわゆる《和本》な訳で、2013年の現在、例えば、和本の福沢諭吉『学問のすすめ』初版本をすんなり読み下せる者がどのくらいいるのか、と著者は問うている。
Digital Gallery of Rare Books & Special Collections < デジタルで読む福澤諭吉 學問のすゝめ. 初編 >
※この件の、具体的な様相を知りたい方は、以下の弊ブログ記事を参照して頂ければ幸甚。
①福澤の明治五年のテキストが現代日本人にとりスムーズに読める代物かどうかは、下記を。
内田樹「言葉の生成について」2016年12月(2) : 本に溺れたい
②明治前半期の国語国字の大変動を具(つぶさ)に辿りたい方は、下記へ。
江戸人の「本居信仰」(1): 本に溺れたい
■大勢五転
近代人(明治以降の日本人)の江戸観は、5回変化している、と著者は述べる。
スタートは、「日本の近代というのは江戸を否定する」(P.7)ことから始まり、その後は以下のようになる。
時代 | 江戸理解の仕方 | |
明治 | 近親憎悪的江戸否定 | 1転 |
大正 | 江戸趣味的な江戸理解 | 2転 |
昭和前期 | 江戸学の対象としての江戸理解 | 3転 |
昭和後期 | 近代主義的な江戸理解 | 4転 |
平成 | 近代主義批判的な江戸理解 | 5転 |
■封建制
これは著者の《封建制》なる使用法が、ちと古い。さすがに現代歴史学では著者のような使用法はされてないはず。
■思想史再考
著者が攻撃する江戸思想史の朱子学的理解は、現代の日本思想史ではもうかなり後退している。それは典型的には、渡辺浩『日本政治思想史』(2010)に代表されると言ってよい。
■総評
和本リテラシーについてのその重要性は了解。雅俗混交の江戸文化も納得。ただ、封建制と徳川思想史に関して言えば、最新の日本史学、日本思想史学、などを著者が少し当って戴けていたらもう少し別の書き方もできたかも知れない、と思う。
しかしながら、問題提起の大きさからいって必読であることは疑いない。
中野三敏『江戸文化再考:これからの近代を創るために』笠間書院(2012)
【目次】
はじめに
第一章 大勢五転 近代人の江戸観について
高まる江戸ブーム/「大勢五転」とは/従来の江戸観/時代とともに移り変わる江戸観/明治の江戸観/大正の江戸観/昭和戦前の江戸観/敗戦後の江戸観/江戸の近代主義的再評価/平成の江戸観/近代は終わったのか?/文化成熟のモデルとしての江戸/江戸文化に対する姿勢/「和本リテラシー」とは/明治以前の書物の実態/和本を通して過去と対話する/消えていく江戸の書物/古典の精神を熟成させた江戸
第二章 雅と俗と 江戸文化理解の根本理念
前回のまとめ/江戸に対するスタンスのとり方/江戸の「雅」と「俗」と/近代主義的な江戸の見方/スタンスを変えてみる/江戸に即して江戸を眺める/「雅」・「俗」の内容と評価/「雅」の優位性 ハイカルチャーとサブカルチャー/浮世絵に見る「雅」・「俗」/変化する美人画/「雅」の絵画に見る十八世紀/江戸らしさとは
第三章 江戸モデル封建制 その大いなる誤解
誤解された江戸の封建制/西洋型学問摂取の弊害/江戸中期の浪人の生活/庶民の女性たちの生活/侍の生活と心構え/江戸の身分制の実態/江戸時代の武士道/自己犠牲の精神/外国人が見た江戸の社会/世界の中の日本/『国学正義編』を読む/世界感覚
第四章 近世的自我 思想史再考
江戸思想史再考/雅俗のバランス/新しい仏教思想研究への期待/本当に朱子学中心なのか/陽明学を基本とした江戸儒学/江戸モデルの儒学という視点/江戸モデル封建制/近世的自我/本当の中華趣味/黄檗文化の受用/黄檗大名 黄檗貴族/色刷り略歴「大小」の流行/浮世絵の色目と箋譜の色目/「朱子学」と「陽明学」/仁斎学/徂徠学/狂者と畸人/近代的自我との相違点
第五章 和本リテラシーの回復 その必要性
出版物に関する江戸の常識/木版本と活版本/変体仮名と草書体漢字の問題/リテラシーの保有者/明治以前の書物の総数と活字本の総数/空間軸と時間軸/近世の出版史/出版の技術/江戸に即して/初刷りと後刷りの比較
参考資料集
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コメント
ヒルネスキーさん
随分、ディープな論文を読まれますね。
でも面白かったです。
ご紹介ありがとうございました。
歴史人口学の速水スクールの看板テーゼ
「勤勉革命論 Industrious Revolution」
の、少なくともその根拠(牛馬減少⇒勤勉化)
を列島全体に敷衍することは困難に
なりそうです。
投稿: renqing | 2013年5月22日 (水) 03時23分
近世農業と長床犂 -「中世名主=犂,近世小農=鍬」説の再検討-(下-2)
http://klibredb.lib.kanagawa-u.ac.jp/dspace/bitstream/10487/9402/1/46%281%29-4.pdf
“レッテルを貼られると研究対象にならず、研究者の世代交代毎に付加されたイメージ毎言葉が純化され、悪い意味で所与の条件になってしまう”
というのを連想しました。
投稿: ヒルネスキー | 2013年5月21日 (火) 17時05分