山口昌男のこと
全く気がつかなかったが山口昌男が亡くなっていた。今年の3月10日(日)のこと。
山口昌男は一度直(じか)に見たことがある。あれはいつのことだったろうか。東京神田の神保町。白山通りと内堀通りが交差し、都営新宿線と都営三田線が交わる地下鉄の駅「神保町」。その真上に、「岩波
ブックセンター信山社」という書店があった(今もあるだろう)。岩波書店の書籍は何でも置いてあるという書店だった。その2階がフリースペースか何かになっていて、話題の学者のトーク・ライブなんぞがよく催されていた。
そのリストの中に、山口昌男と栗本慎一郎(懐かしい!)の対談が、たぶんあったのだと思う。岩井克人の名もそこに含まれていたような気がする。
どんな内容だったのか。今となってははっきりと思い出せない。ただ、山口が「世の中、なにがどんなところで繋がっているのかわからない。そこが面白い。」と言っていたことは覚えている。それがトーク中のものだったのか、イベント後の雑談の中だったか。既に蜃気楼の中だが。
私は山口昌男のほとんどよい読者ではないので、その業績云々は言えそうもない。一方で、ずっと以前から彼の「中心と周縁」理論と西洋中世史家増田四郎の「辺境変革論」とが親和的な位置関係にあると感じている。
山口昌男が戦後日本の知的世界にどのような影響を与えていたのか。結局、ポジティブにしろ、ネガティブにしろ、大きな痕跡は実質的に残していないかもしれない。ただし、例えば池上嘉彦の『ふしぎなことば ことばのふしぎ 』筑摩書房1987年
での、子どものことばと大人のことばの相転移を山口の「中心と周縁」理論でスッキリ説明しているところなどは、面白いと感じたが。
あの、七十年代終わりから八十年代の「ニューアカ」って、煎じ詰めるといったい何だったのだろか。
※参照
山口昌男と二人の王
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