身分と労働 Status and Labor
以前、このブログで身分関連の記事を4つ書いた。
1)身分再考
2)身分再考(2)
3)人には生まれながらに尊卑の別がある
4)人には生まれながらに尊卑の別がある(2)
そこで抜け落ちている大事な議論がある。《労働》である。
■枕草子【御乳母の大輔の命婦】 ~第二百四十段
御乳母(めのと)の大輔(たいふ)の命婦(みやうぶ)、日向(ひうが)へ下るに、賜はする扇どもの中に、片つかたは日いとうららかにさしたるゐなかの館(たち)など多くして、いま片つかたは京のさるべき所にて、雨いみじう降りたるに、
あかねさす日に向かひて思ひいでよ
都は晴れぬながめすらむと
御手にて書かせたまへる、いみじうあはれなり。さる君を見おき奉りてこそえ行くまじけれ。
(現代語訳)
中宮定子様の御乳母の大輔の命婦が、日向の国(今の宮崎県)へ下ることとなり、中宮様からお餞別として御下賜になったいくつかの扇の中に、片面には日光がとてもうららかにさした田舎の官舎などが多く描かれ、もう片方の面には京のさるべき所で雨がひどく降っている絵が描かれていた。それに中宮様が、 <そなたが日向の国に着いたら、東から上る日に向かって思い出してほしい。そなたがいなくなった都では、この絵の雨のように、私が晴れない心で物思いに沈んでいるだろうことを。>御自筆でお書きになっているのが、とても心を打ちしみじみとする。そのようなお情け深い風雅な主君をお残し申し上げたまま、とても行けるものではないだろう。
さて、中宮定子は自分の乳母が京から日向に下ってしまうことを深く悲しむ。なんで自分の召使が都を遠く離れるだけでそんなに悲しむのか。
これまで縷々書いたように、前近代の身分社会には生まれながらに尊貴な人間と卑賤な人間がいる。その2つのカテゴリーを分つ最大の特徴はなにか。それは《労働》である。動力系テクノロジーが発達する以前の《労働》は、どんなものであれ肉体労働のことを意味する。そしてのこの事実は古今東西基本的に同じだ。例えば、孔子や朱子の肖像画を見よ。
こんな衣服で肉体労働が出来る訳がない。つまり、《労働》は卑賤なことだった。
中宮定子は摂政関白にもなった藤原道隆の娘。大貴族の娘だ。その実母も、まあそんな身分の生まれだろう。したがって、貴族の家では当主の妻は自分で母乳をやったり、オムツの処理をしたり決してしない。家事も含めてやってはいけないことだ。したがって、召使たちがそれをする。子育ても同じ。それが「乳母(めのと)」、つまり乳母(うば、nanny)だ。実母に代わって母乳を吸わせ、オムツをかえ、乳幼児をあやし、添い寝する。全く血がつながってなくとも、乳幼児は優しく世話をしてくれる女性を「母」と思うだろうし、乳母からみても、例えご主人の子であってもわが子同然だろう。だから上記のように、中宮定子は母との別離のように悲しんだ訳だ。
■富、労働、生産
前近代から近代へ、すなわち定常循環経済から成長経済への移行はどのように特徴づけ可能か、ということを幾つかの視点から二分法で表してみる。
前近代 | 近代 | |
富の定義 | 収奪するもの | 生産するもの |
労働の価値 | 負 | 正 |
身分カテゴリー | 明確な貴賎 | 唯一の市民 |
認識論 | 概念実在論 | 唯名論 |
知識獲得 | 観照 | 実証・実験 |
価値 | である | する |
国富の獲得 | 領土拡大 | 経済成長 |
こうしてみると、いろいろな側面が同期して変化していることが伺える。こういったものの複合が、《資本主義》であり《成長パラノイア》の内実ということになるか。
【続く(たぶん)】
〔参照〕弊ブログ記事
A Historical Survey of Knowledge Theory: 本に溺れたい
ファッションと国制(身分と「奢侈禁止法 sumptuary law」): 本に溺れたい
〔引用〕枕草子
〔古典に親しむ〕
孔子像 Confucius_02.png (PNG 画像, 192x390 px)
朱子像 280px-Zhu_Xi.jpg (JPEG 画像, 280x600 px)
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