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2013年12月31日 (火)

ひとつの徳川国家思想史(10)

「四 尊王論による幕府批判と幕府の対応」

■尊王論による幕府批判の挟撃
①公家から → 宝暦事件(1758年):公家の学問の師だった竹内式部が京を追放された事件
②民から   → 明和事件(1766年):江戸の塾を開いていた山県大弐が死罪となった事件
「右の二つの事件は、天皇の存在に新しい政治的意味を与えようとする動きが、公家の間と民間とから起ってきたことを示している。」(P.76)

■松平定信の《紀律化》革命=寛政の改革(P.77)
①『御心得之箇条』(1788年)(将軍家斉への訓示)「六十余州は禁廷より御預り遊ばされ候御事に御座候へば、仮初にも御自身のものと思召すまじき御事に御座候」
②尊号事件(1789年):光格天皇による実父閑院宮典仁親王への「太上天皇」尊号贈与を幕府が阻止し、関連した朝臣を天皇の承認なしに処罰した事件
① ⇒《委任》観念の将軍へに注入
② ⇒ 政務を委任されている以上は、幕府の権限は全面的なもので、当然朝臣にも及ぶ

■《委任》原理の帰結
「ここにおいて委任の観念は、朝廷の形式上の地位を高めるとともに、その実質上の権限を失わせるものとして、機能することとなった。」(P.77)

※次の弊記事も参照。
徳川期の「天皇機関説」

次回に続く。

 

尾藤正英「尊王攘夷思想」、岩波講座日本歴史13、近世5(1977)所収
内容目次
一 問題の所在
ニ 尊王攘夷思想の源流
 1 中国思想との関係
 2 前期における二つの類型
三 朝幕関係の推移と中期の思想的動向
四 尊王論による幕府批判と幕府の対応

五 尊王攘夷思想の成立と展開

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