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2014年1月24日 (金)

柏原兵三『長い道』中公文庫1989年

柏原兵三『長い道』中公文庫1989年

■悔悟
読み出すと途中で置いてしまうことができなかった。しかし、それは楽しいからではない。むしろ読めば読むほど陰陰滅滅となった。なぜこの小説にそれほど引き込まれてしまうのか。

それは、主人公潔の心の動きがかつての自分そのもので、自分が嫌っていて、そして半ば諦めてもいた、自分の弱さをこれでもか、と見せつけられて目が離せなくなったからだ。だからと言って、原作者柏原兵三のような、府立一中→日比谷高校(→千葉大医学部)→東大というようなエリートコースを歩んでいたなどという共通点などは全く無い。ただ、暴力への原初的な恐怖から、時に暴力で対抗すべきときに結局それが出来ず、その悔悟を屁理屈で中和したり、想像力の世界で帳尻を合わせることで、なんとか心理的平衡を回復する、そのいじましさ、その怯懦ぶりがそっくりなのだ。

この小説を教えて戴いた御坊哲氏に、私は感謝を述べるべきなのだが、その一方で己の忌まわしい過去の封印を解かれてしまったことを恨めしく思っていることも告白せざるを得ない。

■革命
進の圧政下にあったそのクラスに、ある日革命が起こる。しかし、つかの間の自由の享受の後、クラスに再び専制君主が現れる。その支配はより剥き出しの暴力に基づいていた。まるで、「すべて世界史上の大事件と大人物はいわば二度現われる、一度は悲劇として、二度めは茶番として」*のように。

そのメカニズムは既にエマニュエル・カントが二百年以上前に述べている。

おそらく革命を起こせば独裁的な支配者による専制や、利益のために抑圧する体制や、支配欲にかられた抑圧体制などは転覆させることができるだろう。しかし革命を起こしても、ほんとうの意味で公衆の考え方を革新することはできないのだ。新たな先入観が生まれて、これが古い先入観ともども、大衆をひきまわす手綱として使われることになるだけだ。
永遠平和のために/啓蒙とは何か 他3編 (光文社古典新訳文庫)、p.14

*「ヘーゲルはどこかで、すべて世界史上の大事件と大人物はいわば二度現われる、と言っている。ただ彼は、一度は悲劇として、二度めは茶番として、とつけくわえるのを忘れた。」ルイ・ボナパルトのブリュメール18日―初版 (平凡社ライブラリー) 冒頭

〔参照1〕下記が御坊哲氏の素晴らしい一文
「少年時代」と「長い道」|御坊哲のおもいつくまま
〔参照2〕その記事に刺戟された書いた私の記事
いじめと社会契約

〔参照3〕共感できる記事を発見。
柏原 兵三著 「長い道」を読みました ( 小説 ) - seijiseijiのブログ - Yahoo!ブログ

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コメント

>この小説からリアルな普遍性を読みとる人は少なくない

仰せの通り。
ただ、辛すぎて途中でこの小説から「降り」てしまい、読み通せない人も少なからずいるような気がします。

真実とは人間にとって、時に辛すぎるものである。小説だからこそ可能だった vision であったように思えます。その意味で稀有な作品なのでしょう。

投稿: renqing | 2014年1月26日 (日) 00時08分

>「過去の封印を解かれてしまったことを‥」
それは申し訳ないことをしてしまいました。などと謝ったりしません。renqingさんもこの小説が名作であると感じたはずです。凄絶ともいえる内容ですが、renqingさんのようにこの小説からリアルな普遍性を読みとる人は少なくないと思います。

投稿: 御坊哲 | 2014年1月25日 (土) 22時59分

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