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2014年1月 3日 (金)

決定論と善悪の彼岸(Determinism and "Jenseits von Gut und Böse")

 人間がいずれ死んでしまうものであることは誰の眼にも明白だ。その一方で、人がその限られた生の中で人生に複数の選択可能性を持つことも否定できない。

■決定論
 すると、人間の死という不可避の事実〔決定論〕とその人生における(幾らかの)選択の自由は《矛盾》すると言っていいのだろうか。

 常識的に考えて、これを《矛盾》と考える愚か者はいまい。別に不思議でもなんでもなく普通のことだから。

 人類の歴史時代が始まって約1万年。その間、何十億人もの人生があったはずだが、その何十億通りの人生それぞれに、来るべき死と人生の選択可能性の、《なすべきこと》と《なしうること》の、葛藤はあったはずだ。でも、それを矛盾として悩んだ閑人はヨーロッパ圏の神学者・哲学者ぐらいなものだったのではなかろうか。馬鹿みたい。

 したがって、「極東」のanonymousな私が、少ない知的リソースを使って考えるには及ばないのだが、ま、もの好きなので少しやってみる。

 下に《決定論マトリックス》を二つ用意した。状況を4通り考えてみる。長期の場合vs.短期の場合、マクロの場合vs.ミクロの場合で、4つのdimensionが出来る。

  短期 (超)長期     短期 (超)長期
ミクロ 個人の人生 個人の死   ミクロ 非決定論的 決定論的
マクロ 世界経済の今年の景気 人類の滅亡   マクロ 非決定論的 決定論的

 

 と、まあ考えられるかな、と。

 長期、超長期に関することは決定論的で、短期の出来事は非決定論的であると。そこにとりたてて矛盾は発生しないと思われる。

 これは、渡辺慧『生命と自由』岩波新書(1980年)の第5章の「熱力学的決定論」を援用したもの。ニュートン力学で決定論を代表するからおかしなことになる。ちなみに、この本は名著です。古書店店頭新書コーナーで二束三文で売ってるはず。見かけたら買うべし。

■善悪の彼岸
 もし、人間の行動がラプラスの魔がつぶやくように、予め決定されているのだとしたら、
「彼は善い奴だ」
「あいつは悪党だ」
「彼の行動は人倫にもとる」
という言説は意味をなさない。なぜなら、ある行動を褒め、ある行動を非難するのなら、そこに、善をなすか、悪をなすかの選択の自由がなければならないから。初めから、ある人間は悪をなすことが決まっていて、別の人間は善をなすことがわかっているのなら、それを誉めることも貶すことも無意味だ。

 したがって、これまで人間が積み上げてきた、倫理的、道徳的言説と決定論は共存できない。これが、アイザィア・バーリンの決定論批判のポイントだった。まあ、それだけを言うのに、あの論文は長すぎて眠たくなるけどね(実際、間欠的に居眠りしてしまった)。この批判は今でも有効だと思う。これを渡辺の議論と組み合わせれば、十分、人の生における自由は存在しうるし、有意味だといえるだろう。

※関連記事、参照を願えれば幸甚。
因果律と論理(the universality of causation and logic): 本に溺れたい

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コメント

栃木の仙人 さん

こちらまで出向いていただいて恐縮です。

>私の本名で最近、ツィツターなども始め
ています。

恥ずかしながら、スマホなるものをやらない
ので、twitterとやらも生憎未経験です。
そのうち今風にスマホに乗り換える時が
きましたら、是非拝読させて戴きます。

投稿: renqing | 2017年2月 1日 (水) 01時11分

私のHPにコメントをいただきありがとうございます。
こちらにお返事させていただきます。
本に溺れるHPも時々拝読させていただき書評も含め
大変勉強になります。M氏からも間接的に
情報はいただけておりましたが、お元気そうで何よりです。
特に人間の生と死に関する考察は深く共鳴できる内容かと思われます。
身近な人たちの死が連続した影響もあり心に染み入る内容です。
和辻哲郎は、また再読する予定でいました。
偉大な思想家だと思います。
拙いものではありますが、私の本名で最近、ツィツターなども始め
ています。暇つぶしにでもご笑読いただけましたら幸いです。

投稿: 栃木の仙人 | 2017年1月31日 (火) 12時08分

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