年頭所感(2014年)
過去、このブログの記事作成でお世話になった本の著者が昨年中に数名ご逝去されている。
尾藤正英氏 2013年5月
山口啓二氏 2013年7月
浜野 潔氏 2013年12月
■尾藤氏は本ブログでもカテゴリーを作成してあり、この二日間、氏の名論文「尊王攘夷論」のコンメンタール(というより梗概)を急ぎ書いて取り合えず完成し、ようやくほんの少し追悼させて頂いた気がしている。
■山口氏のその『鎖国と開国』(2006年)につき、若干のコメントを書かせて頂いてある。本書の記述は非常に密度が濃いので、いまだにまともな書評が書けないままずるずる今日に至っている。ここで罪滅ぼしに印象深い記述を一つだけ記しておこう。それは参勤交替に関する解釈である。引用する。
「江戸時代のごく初期には、大名は参勤、すなわち家中の軍勢を率いて江戸に詰めており、幕府が帰国を許すまでは国に帰れませんでした。そのために大名は経済的にもたいへん困りました。それで、元和偃武で戦争がなくなった結果、寛永十二(1635)年の武家諸法度で参勤交替制が規定され、半分ずつ帰国することが許されました。最初は外様大名だけの特権として許され、寛永十九(1642)年から譜代大名にも及ぶことになりました。参勤交替とは、大名をコントロールするため、あるいは大名の財政力をそぐために、寛永時代に設けられた制度であるというふうに教科書等に書いてありますが、これは逆だと思います。」岩波現代文庫版 (P.109)
すなわち、参勤という戦時動員システムを平時に部分解除したのが参勤交替制度の公的意味だったというわけだ。つまり帰国できることが特権だったということになる。徳川の家臣たちは、動員された軍隊のルールとしてボスの近辺に参勤する義務が当然のものとしてある。それを特別に半分ずつ解除してやった、ということ。見ている現象は同じでも、当事者達がその現象に与えている意味と現代日本人が与える《合理的》解釈が全く異なる好例だろう。これこそ歴史研究の困難と醍醐味だと思える。本書からより深く学ばなければならないと思う。慎んで山口氏のご冥福をお祈り致します。
■浜野氏は享年55歳と急な出来事のようで驚かされた。本ブログ記事では氏の最近著を軽くレビューしただけのもので、いささか辛口となり、今となっては少し心残りな記事だった。ご冥福をお祈り致します。
本年中にどのくらいの量、質で記事が書けるかわかりませんが、自分なりに half-truth (John Stuart Mill)と考えたものを披露してご批判を仰ぐ機会を得たいと考えております。本年もよろしくお願い申し上げます。(ブログ主)
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