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2014年2月21日 (金)

存在するものは「知り得るもの」だけではない

 ノヴァーリス(Novalis, 1772-1801)の断章にこういうものがある。

Alles Sichtbare haftet am Unsichtbaren
– das Hörbare am Unhörbaren
– das Fühlbare am Unfühlbaren.
Vielleicht das Denkbare am Undenkbaren – .

2120 Traktat vom Licht
Neue Fragmente
Projekt Gutenberg-DE - SPIEGEL ONLINE

「すべての見えるものは見えないものに触れている
聞こえるものは聞こえないものに
感じられるものは感じられないものに
おそらく考えられるものは考えられないものに」

 我々の眼に見えるものだけが世界に存在しているのではない。それも見えるものの隣り合わせに見えないものがくっついて存在している、とノヴァーリスは言うのである。だとすると、今まで見えなかったものが見え、聞こえなかったものが聞こえ、感じられなかったものが感じられ、考えられなかったものが考えられる瞬間がいつか我々に訪れるはずだ。その時、我々は自分が確かにこの世界の一部であることを実感する。その一瞬を逃してはならない。

〔註〕
 引用文中、下線を引いた「Vielleicht」は、Project Gutenberg 中では、Viclleicht と表記されている。しかし、Google ブックスで収集されている Novalis Schriften(ノヴァーリス著作集、1837、ベルリン) の同部分を見ると、Vielleicht と確認できるので訂正した。恐らく、Project Gutenberg のミスタイプである。

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