思想とは空気である(1)/ Thought is air (1)
John Maynard Keynesの主著、The General Theory of Employment, Interest and
Moneyの巻末に素晴らしい文がある。弊ブログで時折り引いているので二番煎じ三番煎じではあるが自戒のためにも再び引用したい。
But apart from this contemporary mood, the ideas of economists and political philosophers, both when they are right and when they are wrong, are more powerful than is commonly understood. Indeed the world is ruled by little else. Practical men, who believe themselves to be quite exempt from any intellectual influences, are usually the slaves of some defunct economist. Madmen in authority, who hear voices in the air, are distilling their frenzy from some academic scribbler of a few years back. I am sure that the power of vested interests is vastly exaggerated compared with the gradual encroachment of ideas. Not, indeed, immediately, but after a certain interval; for in the field of economic and political philosophy there are not many who are influenced by new theories after they are twenty-five or thirty years of age, so that the ideas which civil servants and politicians and even agitators apply to current events are not likely to be the newest. But, soon or late, it is ideas, not vested interests, which are dangerous for good or evil.
John Maynard Keynes, The General
Theory of Employment, Interest and Money.1936
Chap.24, V
だが現代のこのような気分を別としても、経済学者や政治哲学者の思想は、それらが正しい場合も誤っている場合も、通常考えられている以上に強力である。実際、世界を支配しているのはまずこれ以外のものではない。誰の知的影響も受けていないと信じている実務家でさえ、誰かしら過去の経済学者の奴隷であるのが通例である。虚空の声を聞く権力の座の狂人も、数年前のある学者先生から〔自分に見合った〕狂気を抽き出している* 。既得権益の力は思想のもつじわじわしとした浸透力に比べたらとてつもなく誇張されている、と私は思う。思想というものは、実際には、直ちに人を虜にするのではない。ある期間を経てはじめて人に浸透していくものである。たとえば、経済学と政治哲学の分野に限って言えば、二五ないし三〇歳を超えた人で、新しい理論の影響を受ける人はそれほどいない。だから、役人や政治家、あるいは扇動家でさえも、彼らが眼前の出来事に適用する思想はおそらく最新のものではないだろう。だが〔最新の思想もやがて時を経る〕、早晩、良くも悪くも危険になるのは、既得権益ではなく、思想である。
ケインズ『雇用、利子および貨幣の一般理論』間宮陽介訳、下巻p.194、岩波文庫2008年
■自明性としての思想
思想とは魚にとっての水である。彼らは普段、水を押して推進力を得ていることに気付くまい。彼らが酸素を取り込めるのは水中であり、空気中に放り出されれば窒息してしまう。
思想とは人間にとっての空気である。普段は気付かないが肺や鼻腔いっぱいに吸い込んで我々は生きている。
だから、自分が今まさにどんな「思想」を呼吸しているのか気付かなくて当然だ。したがって、例えばホッブズやヘーゲルを一文字も読んだことが無くとも、仮にそんな名を知らなくとも、ホッブズの原子論的社会観やヘーゲルの歴史神学を靖国問題で書き込むネット右翼がいたりする。
■ケインズの飛躍
ではケインズがこの境地に至れたのはなぜだろう。
それは、彼が(ケインズも出発点はマーシャルの弟子だった)有効需要の原理=マクロ経済学の枠組に到達できたからだ。
つまり、自覚症状のない無意識ヘーゲリアンが、己が実は知らないうちにヘーゲリアンだった、と気づくのは、ヘーゲリアンと異なる新しい境地、認識枠組、エピステーメーに脱出できた後なのだ。だから過去の思想を学ぶ価値とは自己の囚われに気付き、その起源を知ることにこそある。
■《新しい自己》への成長
しかし、その人物がたまたまヘーゲルなぞを読まずとも、実生活上の異なる契機と自覚によって、ヘーゲリアンから抜け出ることはあるはずだ。 つまり、《いまの自己》を対象化(=相対化)できるのは、人生の何らかの機会に成長し、《新しい自己》になれた時なのである。そしてそれが成長であるのは、その《かつての自己》への眼差しが拒絶ではなく受容だからなのである。
〔参照〕変ることの難しさ 人は過去とともに生きる
*不況下にデフレ策を採り、経済成長を叫ぶ大日本国P.M.ABEを彷彿とさせる表現だ(v^ー゜)
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コメント
塩沢由典 様
コメントありがとうございます。
応答を書いたのですが、
長くなりましたので、別記事と
いたします。
投稿: renqing | 2015年6月 2日 (火) 04時09分
ケインズの指摘はいまも正しいのですが、現在、この文章を読んで考えるべきなのは、経済学者でしょう。ほとんどの経済学者は、「過去の経済学者の奴隷」なのですが、そのことに経済学者自身が気づいていません。1970年代以降のマクロ経済学やミクロ的基礎付けという研究計画にはまってしまい、その枠組の中でしか考えられないことが、自分が科学的思考に忠実であるかに考えています。
投稿: 塩沢由典 | 2015年6月 2日 (火) 01時33分