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2014年5月 4日 (日)

権力考(1)

■権力
権力(力 power)とは、2人以上の人間の関係において観察される、命令(言葉、合図、示唆など)-服従(行動)の現象である。

例えば、奴隷主が自分の命令に従わない奴隷に強制力(暴力や死)を振るうことが可能であり、奴隷が自分に加えられる暴力や死を恐れるなら、奴隷は奴隷主の命令に従うだろう。

ここで意外なのは、仮に奴隷が暴力や死を恐れなければ奴隷主は権力を行使できないことだ。権力は究極的には2者関係なので、古典的権力関係である奴隷主-奴隷においてさえも、双方に共通の了解事項がないと成立しないことを押さえておこう。

■命令
権力者は、その発令を言葉で示しさえすればよい。場合によっては、アイコンタクトでも、何らかの身体的示唆でもよい。他者に何かをさせる内容を持つメッセージ(言語的、非言語的)を権力者が発し、他者がそれを理解できなければならない。仮に、権力者と服従者の属する言語共同体が異なるのであれば、権力者に発令する意思があり、服従者にそれに服する意思があったとしても、相互の言語が理解不能ならば、そのメッセージは命令的発話として有効ではない。権力者と服従者はコミュニケーション可能でなければならない。

■服従
服従者が、権力者の命令に従う理由は二つある。

一つは、その命令を拒否したとき、何らかの強制力(暴力、死、監禁、左遷、低評価付け)が行使されることを恐れるから。

二つ目は、その命令に従うことが「当然だ」「正しい」「義務だ」「尤もだ」と服従者が思っていること。Max Weber の権力論でいう《正当性の三類型》は後者からのアプローチである。心理的強制力と言ってもよい。

ローマ教皇が振るう権力は、教会からの「破門」であり、それは信徒にとって端的にいって死後天国にいけなくなる(地獄に堕ちる)ことを意味するので、(物理的)強制力の一例。

一人暮らしの気楽さからなかなか結婚しない娘を父親が電話で「母さんの具合があまりよくないんだ。このお盆休みには帰って見合いをしてくれ。母さんや父さんに孫を抱かせないつもりか。」とかなんとか掻き口説くのは、後者の正当性による(心理的)強制力の例だろう。

■権力におけるpositve(事実的=であること)とnormative(規範的=であるべきこと)
権力作用における物理的強制力を positve(事実的)、心理的強制力をnormative(規範的)と呼ぶことにする。

■サンプル1
ここで仮想実験をしてみよう。サンプルは、医師と患者である。

私の極私的経験から言うと、大抵の医師は「偉そう」である。なぜあれだけ自然に「偉そう」に振舞えるのか、ちと解せない。医療サービスを売買とみなせば、医師=サービス販売者、患者=サービス購入者だ。この資本主義経済下で売り手が恒常的に「偉そう」にしているのは、医者と学校教師と警察官ぐらいだろう。ま、それはよい。

医師と患者の関係において、患者はまず医師の指示通り薬を飲み(飲もうとし)、生活習慣などを変え(変えようとす)る。

この医師の振るう権力の根拠は何か。

最大の根拠は、専門家と非専門家の知識差に基づく。患者はその指示内容の正しさを判断できないにも関わらず、医師の指示に従う。そうしなれば最悪死んでしまうかも知れないからだ。最近は informed consent の一環で、患者にレントゲン写真などみせるが、こんなもの、熟達した医師でなければ読み取れるわけがない(従って、熟達してなければ医師でも見誤る)。 また処方薬の適切さ加減は患者に判別できない(薬剤師によれば勉強不足の医師もいるらしい)。これは事実的力と言える。医師法に基づく医療行為を業としておこなうことを医師のみが許されていることも事実的力だ。

ある患者にとりある医師が主治医で、比較的長期にわたって治療を受けている場合、基本的に患者は医師に従うが、それほど芳しい快方に向わないことが患者にとり気になりだすと、主治医の変更を考え出す。ここで患者が心の葛藤をしてしまうならば、その葛藤の原因は、「私はA医師を信頼すべきだ」という正当性規範が患者の内面に形成されているからだと考えられる。

■サンプル2
教師と生徒の関係を見てみよう。

義務教育レベルなら、小学校、中学校で、「先生のいうことを聞くべし」という規範を(親からも含め)繰り返し注ぎ込まれている。だから、教師の指示に従わないことには心理的抵抗が発生し、従おうという動因となる。逆に、従わないことで、意図的な反逆心を満足させる方向性もあるだろうし、教師にその存在を承認してもらいたがために、従わないケースもあるだろう。これらは規範的権力の側面。

高校入試に影響する学年の中学生であれば、調査書(内申書)での評価を慮って、教師の不合理な指示に従おうとする場合もあろう。昨今の絶対評価制度のため、定期試験の点数と学力評価がダイレクトに関連しなくなり、恣意的な評価がむしろ可能となっている面は否定できないと思われる。そうなればますます事実的権力として機能してると考えられる。

(2)に続く。

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