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2015年5月 6日 (水)

アリストテレス「詩学」Aristoteles, Peri poietikes (1)

≪1.読後感≫
最初に思ったのは、この二千年前のドラマ論(=傑作ドラマの条件とはなにか?)が21世紀の現代でも全く古びてない、ということ。昨今の映画、 アニメ、テレビドラマ、小説、等における素晴らしい作品や、近現代の名作、名画、傑作と評判のものには、アリストテレス大先生が指摘するドラマ構造(=物語の結構)が脚本に作劇術 Dramaturgie として仕込まれているからこそ、面白く感動的なのだ、ということが如実にわかる。

とりわけ映画やアニメが趣味という方は読んでおいて決して損は無い。どれほどカネをかけ、人気女優やビッグネームを取り揃えても、結局脚本の根幹にこのドラマ構造が無い限り作品としては失敗に終わり、低予算の無名スタッフによるB級映画と一見みなされようとも、大先生の指摘する仕掛けを持つムービーなら隠れた傑作として映画史やアニメ史に長く記憶されることになる、ということが素直に納得されるはず。

諸学の王アリストテレス大先生の古典中の古典ということで、とてもではないが面白い本とは想像できないだろうが、絶対面白い。煩雑な註(研究者向け)を無視すれば、本文は、文庫本でたかだか100頁。あっという間に読み終わるはず。映画ファン、アニメファンには必読書です。

≪2.アリストテレス大先生の傑作の条件≫

1.ドラマは一定のサイズを持ち、完結したものでなければならない。
 観客や視聴者に見てもらうものだから、長時間すぎたり、いたずらに複雑な筋だったり、登場人物が多すぎるのは、ドラマの観客を疲れさせ、混乱させるだけ。見るものの胸にストンと落ちる程の長さ、ある程度の複雑さを備えた筋、ドラマ構造を持つべきだ。
「一定の長さをもち、しかもその長さは容易に全体を記憶することができるもでなければならない。」本書P.40

2.大事なのは役者ではない。ドラマ(「出来事の組みたて」P.36)だ。
「人々は、たしかに性格によってその性質が決定されるが、幸福であるかその反対であるかは、行為によって決定される。それゆえ、(劇のなかの)人物は性格を再現するために行為するのではなく、行為を再現するために性格もあわせて取り入れる。したがって、出来事、すなわち筋は、悲劇の目的であり、目的はなにものにもまして重要である。」本書P.36

3.ドラマの筋は、計算されたオープニング、計算されたエンディングがなければならない。
「巧みに組み立てられた筋は、勝手なところからはじまることも、勝手なところで終わることも許されず、いまあげた形式(初め、中間、終わり)を守らなければならない。」本書P.40

4.ドラマの筋は、統一されたものでなければならない。それは、一人の主人公がいれば統一されるものではない。ドラマに登場するすべての人物の行為が、統一されていなければならない。
「筋もまた、行為の再現であるかぎり、統一ある行為、しかも一つの全体としての行為を再現するものでなけばならない。さらに、出来事の部分部分は、その一つの部分でも置きかえられたり引き抜かれたりすると全体が支離滅裂になるように、組み立てられなければならない。あってもなくても何の目立った差異も示さないものは、全体の部分ではないからである。」本書P.42

5.ドラマ作者の仕事は、起こりうる筋を、すなわち、ありそうな仕方で、あるいは必然的な仕方で起こる可能性のある筋をつくることだ。俳優のために筋より場面を偏重してはならない。そんなことをすると、ありそうでもなく、必然的でもない筋になってしまうから。(本書P.45)

6.ドラマで表現されるものは全体として完結した人々の行為の集積であるが、それは観るものに、おそれとあわれみの感情を引き起こす出来事の再現でなければならない。(本書P.46)

7.観るものにおそれとあわれみを引き起こす出来事は、予期に反して、しかも因果関係によって起こる場合効果をあげる。(本書P.46)

8.もっとも効果があるのは、筋の組みたてそのものから、つまり、行為の結果として、逆転と認知の両方を伴って変転が生じる場合である。(本書P.47)

変転(メタバシス):身の上が幸福から不幸へ、不幸から幸福へ移り変わること。身の上の変化のこと。
逆転(ペリペテイア):ある意図を持った行為の帰結がそれが目指す事柄とは正反対の結果をもたらしてしまうこと。
認知(アナグノーリシス):無知から知へ転換。

9.善人が幸福から不幸に転じることが示されてはならない。(本書P.51)
10.悪人が不幸から幸福になることが示されてはならない。(本書P.51)
11.悪人が幸福から不幸に転じることを示してはならない。(本書P.52)

12.したがって、善人でもなく、かといって悪人でもない人が、卑劣さや邪悪さのゆえではなく、なんらかのあやまちのゆえに幸福から不幸なるとき、観るものにおそれとあわれみを引き起こす。
「なぜなら、あわれみは、不幸に値しないにもかかわらず不幸におちいる人にたいして起こるのであり、おそれは、わたしたちに似た人が不幸になるときに生じるからである。」(本書P.52)

ブログ主の研究テーマである「複雑系 Complex Systems」から見た本書の分析は(2)へ続く。


※内容に即した素晴らしい読解を示してくれているサイトがありました。下記。是非ご一読されたし。
悲劇の要素とカタルシス ~アリストテレス『詩学』のメモ~ | Communication and Deconstruction


アリストテレース『詩学』ホラーティウス『詩論』
松本仁助・岡道夫訳 岩波文庫(1997年)
※カラーフォントは本書目次にある概要を転載した。ただし、ブログ主にとり関心の深い箇所のみ。

アリストテレース『詩学』(本文P.21~P.109)
第一章 論述の範囲、詩作と再現、再現の媒体について(P.21)
第二章 再現する対象の差異について

行為する人間(よりすぐれた人間、より劣った人間、わたしたちのような人間)の再現。悲劇はよりすぐれた人間を、喜劇はより劣った人間を再現する。

第三章 再現の方法の差異について(P.25)

劇(ドラーマ)という名称の由来について 悲劇・喜劇の発祥地についてのドーリス人の主張

第四章 詩作の起源とその発展について(P.27)
第五章 喜劇について 悲劇と叙事詩の相違について(P.32)
第六章 悲劇の定義と悲劇の構成要素について(P.34)

悲劇は一定の大きさをそなえ完結した高貴な行為を、叙述によってではなく、行為する人物によって再現する。悲劇はあわれみとおそれを通じて、そのような感情の浄化(カタルシス)を達成する。六つの構成要素、筋、性格、語法、思想、視覚的装飾、歌曲。もっとも重要なのは筋(=出来事の組みたて)。筋は悲劇の目的である。筋は悲劇の原理であり、いわば魂である。悲劇の機能は上演されなくても働く。

第七章 筋の組みたて、その秩序と長さについて(P.39)

全体は初め、中間、終わりをもつ。筋の長さについての規定。出来事がありそうな仕方で、あるいは必然的な仕方でつぎつぎと起こり、不幸から幸福へ、あるいは幸福から不幸へと移り変わる(変転する)こと。

第八章 筋の統一について(P.41)

統一ある一つの行為。ホメーロスは統一ある行為を中心に詩を組みたてる。『オデュッセイア』の例。一つの全体としての行為の再現。

第九章 詩と歴史の相違、詩作の普遍的性格、場面偏重の筋、驚きの要素について(P.43)

歴史家はすでに起こったこと、個別的なことを語るのにたいし、詩人は起こる可能性のあること、普遍的なことを語る。詩作はより哲学的であり、より深い意義をもつ。喜劇の場合と悲劇の場合。詩人は筋をつくる者でなければならない。単一な筋では場面偏重の筋がもっとも劣る。出来事が予期に反して、しかも因果関係によって起こるとき、驚きが生じる。

第一〇章 単一な筋と複合的な筋について(P.46)

単一な筋は単一な行為(逆転あるいは認知を伴わずに変転が生じる)を、複合的な筋は複合的な行為(逆転あるいは認知を、あるいは両方を伴って変転が生じる)をそれぞれ再現する。ある出来事のゆえに起こる場合と、ある出来事のあとに起こる場合とのちがい。

第一一章 逆転と認知、苦難について(P.47)

逆転の定義(これまでとは反対の方向へ転じる、行為の転換)。逆転の実例(『オイディプス王』、『リュンケウス』)。認知の定義(無知から知への転換)。もっともすぐれた認知は逆転と同時に生じる。認知の実例(『タウリケーのイーピゲネイア』)。苦難の定義(破滅・苦痛をこうむる行為)。

第一二章 悲劇作品の部分について(P.49)
第一三章 筋の組みたてにおける目標について(P.51)

もっともすぐれた組みたては複合的なものである。組みたての四とおりの仕方(避けるべき仕方と選ぶべき仕方)。あわれみは不幸に値しない(アナクシオス)にもかかわらず不幸におちいる人にたいして生じる。おそれはわたしたちに似た人が不幸になるときに生じる。卑劣さや邪悪さのゆえではなく、あやまち(ハマルティアー)のゆえに不幸になる人を取りあげること。すぐれた悲劇は名家をめぐる話にもとづいて組みたてられる。エウリピデースの例。二重の組みたてから生じるよろこびは悲劇ではなく喜劇に属する。

第一四章 おそれとあわれみの効果の出し方について(P.54)

おそれとあわれみの効果を出すには、視覚的効果によるよりも、筋によるべきである。悲劇に固有のよろこび、あわれみとおそれから生じるよろこび、を求めること。親しい関係にある者(肉親)同士のあいだの悲劇的行為があわれみとおそれを引き起こす。悲劇的行為の三とおりの仕方(拙劣な仕方と巧みな仕方)。

第一五章 性格の描写について(P.58)

四つの目標(性格はすぐれたものであること、ふさわしさ、わたしたちに似たものにすること、首尾一貫性)。性格においても必然的なこと、あるいはありそうなことを求めなければならない。筋の解決は筋から生じるべきであって、「機械仕掛け(の神)」のような不合理によるべきではない。不合理は「劇(悲劇)の外」におくこと。肖像画家による性格描写から学ぶべき点(そっくりに描きながら同時により美しく描くこと)。

第一六章 認知の種類について(P.61)

認知の六つの種類。印による認知、つくられた認知、記憶による認知、推論による認知、誤った推論を利用する認知、出来事から生じる認知(最後にあげたものがもっともすぐれている)。

第一七章 悲劇の製作について― 矛盾・不自然の回避・普遍的筋書の作成(P.65)
第一八章 ふたたび悲劇の製作について― 結び合わせ、解決、悲劇の種類(P.68)

悲劇は出来事の結び合わせの部分と解決(解きほぐし)の部分とに分かれる。悲劇の四つの種類。複合劇、苦難劇、性格劇、(視覚的装飾を主とする劇)。叙事詩的な構造を悲劇につくってはならない。作者は悲劇的な驚きを狙う。コロスは俳優の一人とみなされるべきである。

第一九章 思想、語法について(P.72)
第二〇章 語法について(P.74)
第二一章 詩的語法にかんする考察(P.78)
第二二章 文体(語法)についての注意(P.83)
第二三章 叙事詩について― その一(P.88)
第二四章 叙事詩について― その二(P.90)
第二五章 詩にたいする批判とその解決(P.96)
第二六章 叙事詩と悲劇の比較(P.105)
訳注(P.110~P.222)
ホラーティウス『詩論』(P.223~P.295)
ホラーティウス『詩論』引用句集(P.297~P.310)
解説(P.313~P.350)
文献(P.351~P.356)

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