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2015年6月28日 (日)

論理実証主義 logical positivism

以下、坂本百大氏の手になる、平凡社世界大百科事典(1998年)中の、「論理実証主義 logical positivism」の項目記述。

簡にして要を得た、手堅く見事な梗概。百科事典中の項目として埋もれてしまうのは実に惜しいので掲載させて頂いた。知の発展は《因果律》ではなく《進化律》に従う確率的なもの。多くの眼に晒すことが大切と考えた次第。ただし、著作権者から削除要請が来たらそれに従う所存。
直近のコメント等に応答するのに己の頭のたな卸しの必要を感じたので、その一環です。


論理実証主義 logical positivism
〈ウィーン学団 Wiener Kreis〉およびその共鳴者の哲学に与えられた名称。

[成立と展開]
 1895年ウィーン大学に〈帰納科学の哲学〉という講座が新設され,物理学者のマッハがその初代教授となり,その後この講座はボルツマンへと引き継がれていく。この講座を中心としてウィーン大学において,近代自然科学に接近した経験主義的な哲学傾向がしだいに醸成された。このような状況の中で,1922年シュリックがこの講座を引き継いだ。当時シュリックのもとに多くの若い哲学者,物理学者,数学者,社会科学者などが集まり,私的な会合が続けられていたが,28年,このメンバーが中心となって〈マッハ協会〉を設立し,ウィーン学団が結成され,その公的な哲学運動が始まる。このグループの哲学思想が論理実証主義である。その主要メンバーとしては,シュリックのほか,哲学者のクラフト V. Kraft,物理学者(後に哲学者)のカルナップ,フランク P.Frank,数学者のメンガー K. Menger,ゲーデル,社会科学者のノイラートなどがあげられる。これとほぼ時を同じくして,ベルリンにライヘンバハを中心に〈経験哲学協会 Die Gesellschaft frempirische Philosophieが設立され,これと協同して30年に機関誌《認識(エルケントニス)》を発刊し,この論理実証主義の思想は世界に広まっていくことになる。これに呼応して,コペンハーゲンのヨルゲンセン J. JÅrgensen,シカゴの C. W. モリス,ワルシャワの論理学者たちがこの思想の共鳴者となる。この間,31年にこの運動全体に対してブルンベルク A. E. Blumberg とファイグル H.Feigl によって論理実証主義という名称が与えられた。しかし,当時はナチスの興隆期にあたり,多くのユダヤ人を抱えるこのウィーン学団は弾圧を受け,やがて活動不能となり,多くの学者は,アメリカ,イギリスに亡命し,この運動は発足以来約10年にして解体した。しかし,このため,論理実証主義の思想はこれらの国,とくにアメリカにおいて根を下ろし,その固有の思想と融合して新しい発展をとげ,いわゆる分析哲学として現代哲学の一つの大きな流れを形成することになるのである。

[思想]  論理実証主義の思想はマッハの科学的世界観,とくに,その感覚主義的経験論と B. A.W. ラッセルとその弟子ウィトゲンシュタインの論理思想とによって強く影響されて起こった新しい科学哲学であると概括される。その思想内容の特質は以下の諸点に要約されよう。

(1)科学的世界把握
 ウィーン学団の最初のテーゼは〈統一科学 Einheitswissenschaft〉であった。すなわち,19世紀以降細分化の一途をたどってきた諸々の学問を統一し,その上に立って過去の多くの形而上学的世界観とは異なる〈科学的世界把握〉を行おうとするものである。そのために,諸学を共通に基礎づけるものとして個人の経験のみを認めるという徹底的経験論を目ざした。しかし,ここで,心理学をもその範囲に含めようとするとき,いわば〈内的世界〉と〈外的世界〉とを共通に基礎づけるものとして経験を取り扱わざるをえず,経験というもののもつ私的一面のゆえに,科学はかえって客観性を失わざるをえないという難問をかかえることになった。この難点を避けるため,たとえば,シュリックは経験の内容と構造を区別するというような試みを行ったが,必ずしも成功していない。この難問は〈内的経験の私秘性〉〈他我問題〉などとして現在にまで持ちこされている。

(2)現象論と物理主義
 論理実証主義は初期,マッハとラッセルの強い影響の下に,現象主義の立場をとった。すなわち,認識の源泉としての直接所与は物ではなく,感覚,またはそれに類似のものであるとする立場である。この視点はカルナップの初期の著作《世界の論理的構成》などに明瞭に現れている。しかし,この立場に立つかぎり,科学的真理の根拠は究極において私的なものとなることを不満として,ノイラートは科学の命題を検証しうるものは〈報告命題〉であり,そしてそれは,感覚言語ではなく,物言語(たとえば,人名,物の名,場所,時刻などを含む)によって構成されるべきであるという主張を展開し,その後,論理実証主義者の見解は,概してこれに傾いた。この新しい立場は〈物理主義 physicalism〉と呼ばれる。

(3)論理主義
 当時新しく構成された論理学,いわゆる記号論理学を重視し,みずからその発展に貢献した。さらに,ラッセル,ウィトゲンシュタインの影響の下に,〈論理的原子論 logical atomism〉に近い立場をとり,現実の世界の構造が論理的であると考えた。しかし,やがて,数学の分野で広まった公理主義に接近し,数学のみならず,物理学をも含む広範な分野で公理主義的な規約主義へと移行した。

(4)言語分析と形而上学の否定
 論理実証主義はその創設期に強い形而上学否定のプロパガンダをたずさえて登場した。しかし,その否定の理由は,それが誤っているからではなく,それが無意味な命題を述べているからであるとしたところに大きな特質がある。そして,この種の無意味な命題を排除するために,命題の有意味性に対する厳しい規準を立てた。それは,〈命題の意味とはその検証の方法である〉という種類のものであった。しかし,彼らは,この検証ということを経験による検証とみなしたため,形而上学の命題はもちろん,多くの哲学的命題や倫理学的命題などが無意味となり,哲学問題の多くは擬似問題として退けられることになった。しかし,この規準によるならば,その規準を述べる当の命題そのものが無意味となるというような撞着を含むことが問題となり,この規準は漸次緩められ,伝統的哲学問題の多くは真の哲学問題として復活することになる。しかし,これらの議論を通じて行われた言語分析の手法は哲学的議論の手法としては斬新なものを含み,同時期にイギリスにおいて行われていた日常言語による言語分析(日常言語学派)とともに,哲学的分析の有力・必須の方法として定着することになった。
坂本 百大
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