新古典派経済学の起源
コメントありがとうございます。
新古典派経済学が一般均衡論をフレームワークとしてメインストリームを形成したのは、1950年代のアメリカです。Debreu、Arrow、といったビッグネームが活躍しました。
しかし、第二次大戦前のアメリカには、旧制度学派のVebrenや、旧シカゴ学派の大親分のKnightがいました。KnightはRiskを俎上に載せたことで経済学史上で著名ですが、彼はWeberの「一般経済史」(青山秀夫訳では一般社会経済史要論)を英訳している人物で見識の広い一代の碩学でもありました。皮肉にも、FreedmanはKnight指導の下でM.A.を取得しています。
そういうアメリカ経済学界の一枚岩でない様相が一変するのが、第二次大戦後です。これは、ヨーロッパ大陸での戦乱が亡命知識人を、特にドイツ語圏のユダヤ系学者を大量に米国へ向わせたことが影響しています。その中でも、論理実証主義者(ウィーン学団)たちの科学哲学・「科学」観が問題でした。米国でも特に大きなドイツ系移民コミュニティがあるのがシカゴだったため、とりわけシカゴ大学(その中にあったのがThe Cowles Commission for Research in Economics*)の変貌が大きかった。
*数学者でワルラス・カッセル体系の研究者Abraham Waldは故国ハンガリーから逃れてここに身を寄せました。Freedmanも、Arrowもポスドクで一時ここに世話になっています。
論理実証主義者たちのある種硬直した「科学」観は、最終的には前世紀から「人文学的」雰囲気を維持していた米国の経済学を駆逐し、その経済学を論理実証主義的=数理的経済学に書き換えます。こういった経緯から、新古典派の「科学」観は、意外にも旧態依然たるものである訳です。
「すべてはすべてに依存する」。これは端的に言って、キリスト教的決定論の世界観(この世に神の意思ならざるものは一つとして存在しない)でもありますから、亡命論理実証主義者たちと米国の世界観が、「選択的親和性 Wahlverwandtschaften (Elective Affinities) 」(Max Weber)を発揮した面も少なからずあるでしょう。
また、戦後、米国の大学がその規模を急拡大したことも各分野におけるポスト急増と関連して指摘すべきでしょう。これは、戦後復員軍人として戦線から戻ってきた青年たちへの慰撫策としてタダで大学への入学を認め、黄金の50年代の米国の政府予算が大量に大学に注入されたためです。優秀な亡命学者がアメリカにポストを得る機会は容易だったと思われます。大陸では著名で、米国ではほぼ無名だった法哲学者の Kelsen がUCLAに職を得たことなどもその口です。
〔参照〕
「American way of life」の起源(1)
「American way of life」の起源(2)
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コメント
塩沢 様
私事で時間がなく、塩沢様の重要な複数のコメントに応答できず、恐縮です。できること、気付いたことからひとつづつ、応答します。
>「キリスト教的決定論の世界観」といわれるものが近代科学の成立に大きく影響していることは確かですが、それだけではコペルニクスもガリレイも出てこないでしょう。
弊記事において、ご指摘のような記述はないと存じます。私の仮説は、戦間期の亡命論理実証主義者たちと米国の知的世界の出会いが、ある種のインパクトを米国社会に持った。その米国の心性に陰に陽に影響していたのは米国版Purism(キリスト教原理主義、またAnti-Intellectualismもその一変種)で、これがWeberの言う「選択的親和性 Wahlverwandtschaften (Elective Affinities) 」の典型例ではないか、というものです。
これに関連して、Adam Smith の「invisible hand」がキリスト教世界観(いわゆる理神論)と関連する、云々といわれることがありますが、これは恐らく違います。ストア哲学の「宇宙霊魂」から来ています。従って、スミスのテキストには、「Sentiments」「Wealth」ともに「神の」という修飾句がついていません。この経緯については、伊藤邦武著『経済学の哲学』中公新書2011年PP.53-59をご覧ください。また、17C-18Cの資本主義勃興期に大問題となった、「理性vs.情念」というホット・イッシューも、西欧近世を一世風靡した当時のストア派思想家たち(新ストア主義)によって「紀律化」として一つの解決を得ていきました。17世紀科学革命については、トゥールミン『近代とは何か』法政大学出版局2001年、および弊記事「コスモポリスの転換 ( Transformation of Cosmopolis )」http://renqing.cocolog-nifty.com/bookjunkie/2010/12/transformation-.html
をご参照頂ければ幸いです。
投稿: renqing | 2015年7月 6日 (月) 12時42分
「新古典派経済学の起源」という表題ですので、2点につきコメントしておきます。
(1)新古典派経済学について
「アメリカ新古典派経済学の起源」「現代主流の経済学の起源」というなら、ご説明のとおりです。
Rengingさんは、「新古典派経済学」をケインズ以降に現れた一般均衡理論を中心とした経済学とお考えのようですが、「新古典派経済学」は「古典派経済学」と対立しています。その意味からいうと、1870年代以降、ヨーロッパと北アメリカに現れた経済学の流れを新古典派と呼ぶべきではないかと考えます。
ケインズが『一般理論』で、自分以前の経済学をすべて古典派と呼んだことは知っていますが、これはあまりにも乱暴な学派設定です。
わたしは古典派経済学の典型としてリカードを考えていますが、新古典派の中心的な思考である「効用が価値を決める」といった考えは、いわゆる古典派の時代にもありました。たぶん、フランスには、リカードのような古典派価値論は、いちども定着しなかったのではないでしょうか。
さらにいえば、古典派経済学がなぜ新古典派経済学に転換していったのか、に関する考察も必要です。
(2)論理実証主義について
ウィーン学団に代表される論理実証主義の「硬直した「科学観」」が「経済学を論理実証主義的=数理的経済学に書き換え」たといわれることには、いろいろな意味で疑問があります。
1920年代30年代にウィーンで本格的な数理経済学の発展があった(例: Menger Colloquium)ことは事実ですが、その流れがどのように第二次大戦後のアメリカ新古典派経済学に影響したかについては、もうすこし詳細な検討が必要だと思われます。いわゆるオーストリア学派と数理経済学との関係もなかなか複雑そうです。
ウィーン学団宣言の起草者であるO. Neurathは、実証科学や統一科学の構想をもっていましたが、他方ではNeurathの船に代表されるような科学観をも持っていました。
Neurathとその周辺の人物の思想については、桑田学さんの『経済学的思考の転回』が読み応えがあります。
「キリスト教的決定論の世界観」といわれるものが近代科学の成立に大きく影響していることは確かですが、それだけではコペルニクスもガリレイも出てこないでしょう。そのあたりのきちんとした議論も必要に思います。
投稿: 塩沢由典 | 2015年6月26日 (金) 02時05分