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2015年7月31日 (金)

「弱さ」こそ、素晴らしい

人間は万物の霊長であるから、人間以外の生きものと何かしら顕著な違いがなければ理屈が通らない。しからば、それはなにか。

生きものは、ある定常性を保つ環境の中で、何かしらの「強み」やより高い「適応度」を持つものが個体や種として、様々な相のタイムスケールでサバイバルしてきた。

「生き残る」ということは、個体間や種間において、より生きものとして「価値が高い」と言い換えてもよいだろう。

もし、人間が「強さ」や高「適応度」を至高の価値とするなら、他の生きものや動物と異なるところなどないと言える。同じ価値の延長線上で競いあっているに過ぎないからだ。いわば己の一物を他と比べて、「大きい」だの「長い」だの、より「長持ち」するだの言い募っている類だ。

人間が万物の霊長であるなら、その価値の高さの指標は、他の生きものとは正反対でなければ道理にあわない。

すなわち、人間において最高の価値は、「弱さ」であり、「不適応」であるはずだ。

「弱さ」が素晴らしく、「不適応」が最高であるからこそ、地球の歴史50億年の中で誕生した、最も変で、最も妙な生きもの、人間が人間らしいと言えるのである。

※上記の実践が下記にあたるのではないか、と思われます。
べてるねっと

※これこそが、「vulnerability」の意義だと考える。下記参照。
H.L.A.ハートの「自然法の最小限の内容」

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