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2015年8月15日 (土)

塩沢由典・有賀裕二編著『経済学を再建する』中央大学出版部(2014年)〔3〕

■第3章 価値と数量の二重調整過程(塩沢由典)
1.機能する経済の基本前提
2.進化のミクロ・マクロ・ループ
3.進化経済学を補完する価値論
4.生産量の調節と需要の変化
5.ケインズとリカードを結びつける

■提案3
進化経済学に欠如しているものは価値論(価格理論)であり、それは古典派価値論である。

■各節の要旨
第1節:進化は環境の定常性を前提とする。したがって、経済がうまく機能するためには、経済過程に一定の(ゆらぎのある)定常性がなければならない。だから、新古典派が選好するようなレスポンスの高い柔軟な市場価格の変化はむしろ順調な経済循環を阻害してしまう。

第2節:経済循環全体を進化過程とみるならば、経済の全体状況と個々の経済主体の間には、一種の共進化過程があり、これをマクロ・ミクロ・ループという。この考えは新古典派の方法論的個人主義と相容れない。

第3節:現代企業の行動原則は、フルコスト原則とスラッファの原理(ある設定価格のもとで売れるだけ売り生産する)である。そのミクロの行動原則をマクロで可能とするものが最小価格定理(非代替定理)である。この定理はある経済体系に複数の代替技術があり、産出量の変動があっても、定常的な経済循環が成立していて、産業ごとに習慣的な業界常識として参照されている上乗せ率(業界標準の粗利益率など)があるならば、マクロには最小のコストを実現する相対価格体系が一つ存在することを帰結する。したがって、最小価格定理の成立は経済体系における二つの調整原理、価格調整と数量調整は独立して変化することを意味し、複雑な現代経済において感応度の高い価格変化が順調な経済循環を阻害することを考えるならば、経済学として注目すべき点は数量調整であることが導かれる。

第4節:現代企業の行動原則が、先の二つの原則と原理であるならば、個々の企業は需要の変化に応じて生産量をスムーズに調整しているように考えられるが、実態はそれほど容易なものではない。現代経済では、価格が固定的な商品群と変動的な商品群があり、大部分が前者の固定価格経済に属し、後者の変動価格経済は市況商品が代表的なものである。価格の固定性と変動性を分かつものは、生産の技術的特性とその商品の需要の時間的変動特性である。

第5節:古典派価値論こそが、有効需要理論のためのミクロ的基礎づけとなる。すなわち、経済体系を変動価格経済と固定価格経済に領域分割し、前者を新古典派経済学、後者をケインズ経済学とする新古典派内の試みを超え得る。

■評
 著者は1970年代から2010年代の現在まで、一貫して新古典派経済学、特にそのミクロ理論(相対価格理論)の不当性、非現実性をスラッファの枠組(現代古典派価値論)から批判してきた。また1980年前後、果敢にも新古典派最前線の研究者たちに孤独な論争をしかけていた。当時としては孤軍奮闘、孤立無援といった状況だったように思う。その当初の時点で著者が理論的に彫琢し、意義を現代に甦らせていたのが本章の「最小価格定理」である。したがって、この定理に関する仕事は40年前に既に完了していたことになる。

 しかし、この章で評者に了解できたことは、著者にとっても、古典派価値論の理論的系譜を引く、この「最小価格定理」の現代経済における重要性が明瞭になったのが、著者が1980年代に急進主観主義を迂回して複雑系を経過し、2000年前後に経済(学)の議論の枠組を「進化」にシフトしてからなのだ、ということである。とりわけ、「環境の変化速度と種の変化速度とのあいだに一定限度の関係があってはじめて、環境への適応という進化が起こりうる。」(P.76)という認識が重要だろう。

 価格の定常性**に関して評者の知見を一つ。金融技術にデリバティブというものがある。これは元来、様々な商品の先物取引市場から、つまり投機的動機ではなく実需から派生した(だから、derivatives)。徳川日本にも大坂堂島に米切手のデリバティブ市場が立派に稼動していた。実需のデリバティブでは、外国為替の先物予約が典型的だ。例えば、輸出企業はドル建て商談が成約すると、すぐ代金相当のドルを「売り」(円を買う)予約する。また、輸入企業なら、契約確定したら、すぐドルの「買い」(円の売り)予約をする。なぜこういうことをするかといえば、もし予約をせずドル建て契約をオープンにしておくと、売上代金、支払い代金が、輸出入の代金決済が済むまで、円価額として確定できないからだ。すなわち、Max Weberの言う資本主義成立の大原則の一つ《計算可能性》に明らかに反するためだ。これでは近代企業の会計としては全く不合理なことといえる。「定価」「契約」といった近代ビジネスの概念は、価格変動というリスクを回避するための道具でもある。シャックルのカレイドスコープの比喩などのように価格が乱高下してしまうなら、ビジネスは萎縮し、かえってマクロの産出量水準は下がってしまうだろう。

 著者が第2節の「進化のミクロ・マクロ・ループ」の具体例として参照を求めている「日本的経営」の考察に関しては、弊ブログ主の修論*も参照して頂きたい。その歴史的成立の経緯をより詳細にミクロとマクロの立場から追跡し、ある環境で成立した制度的習慣が異なるマクロ環境下において、かえって有効化(自己保存的)したり、無効化(自己破壊的)してしまうことを例証している。

 最後に、第4節は経済の調整機構、とりわけ供給側の企業の調整機構の話題であれば、著者が自らの論文「在庫・貨幣・信用 ―複雑系の調整機構― 」(1978年)〔塩沢著『市場の秩序学』1990年第10章〕に触れてなかったのが、若干奇異に映じたことを付言しておこう。

*http://hdl.handle.net/10119/742
簡略には、下記を参照。
日本社会の構造転換(1960年革命)

**(職業的)新古典派経済学者も一消費者として行動するときは、価格変化のフレキシビリティなどは実は夢想だにしていないはずだ。
 一つ仮想実験をしてみよう。職業的新古典派経済学者である彼(彼女)らも、例えば来月に配偶者や子どもの誕生日が控えているなら、プレゼントやバースデーケーキを買うことを当然考える。プレゼントは買っておいて1ヶ月保存しておけるが、生クリームのバースデーケーキは当日か前日に買うだろう。まして、地元で人気のある数量限定のケーキ屋のものを食べさせたいなら、買いそびれを恐れて予約を入れるに違いない。通常の予約なら種類やサイズ、板チョコに書く文言だけが予約内容の仕様となる。数量限定のちょっと高価なケーキだとすれば、家族4人として4千円から5千円するかもしれない。しかし、この生ケーキの販売価格が、外国為替や輸入原材料費の変化に敏感に反応するものならどうするだろうか。今の店頭価格が4千円だとしても、来月に4500円になることがあり得るとしたら、彼(彼女)は誕生日引渡し価格の予約をするのではなかろうか。もしくは、同じことだが予約価格で支払いを済ませてしまうだろう。それが現実世界で生活している経済の実態というものなのである。仮に(相対)価格が毎日ジェットコースターのように変化するとして、それを歓迎するのは「職業として」新古典派経済学に従事している人間だけではないかと愚考する。

〔4〕

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コメント

最小価格定理は、1960年代には代替定理、非代替定理と呼ばれて有名なものでした。最初の発見者はP.サミュエルソンでした。サミュエルソンが示したのは、二財の場合だでした。それを3財の場合にKoopmanが拡張し、Arrowが一般の場合に証明しました。『経済学を再建する』には、名前だけ挙げて(pp.93-94)、論文名を示していないのですが、いずれにしても1950年代・60年代の数理経済学を代表する人たちによって確立した定理です。

その意味では、新古典派がこの定理を無視しているのは奇妙なのですが、けっきょくこの定理がもつメッセージが(価格の変化により需要と供給が調整されるという)新古典派の経済思想に矛盾するために、次第に敬遠されるようになり、現在ではほとんど忘れ去られています。かなり優秀な大学院生でも知りません。逆にわたしの議論をさいきん知ってショックを受けたという院生もいます。

主流の経済学は、自分達が発見した定理でも、都合の悪いものは無視してしまうということでしょう。ポパーやラカトシュの反証により理論が進むという「科学哲学」は、このあたりでもまったく記述的ではありません。しかも、ここにフリードマン流の偽実証主義が複合として、新古典派の「科学哲学」を支えています。

第1章第5節「新古典派価値論からの脱却」でフリードマンの議論が不釣合いに重くなってしまっているのは、ご指摘の通りです。それが現在のような形になってしまったのは、瀧澤弘和さんのような経済学の方法論や科学哲学に精通している人がフリードマンの影響下にある(あるはその意義を再発見しつつある)ことにどうしても反論しておきたかったからです。

わたしがミルトン・フリードマンに反対するのは、かれの政治・経済思想に対してではありません。かれが唱えた科学方法論にきわめて大きい問題点を感ずるからです。突き詰めれば、フリードマンは「理論的努力」というものを否定しています。かれにとって理論とは、言葉であるか、仮説の整理棚でしかありません。そのような「科学哲学」が、現在の経済学の実証一辺倒、理論的分析の不在という事態を生んでいると思います。


もっとも厄介なのは、そのことに当人達が気づいていないことです。


投稿: 塩沢由典 | 2015年10月25日 (日) 15時18分

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