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2015年9月 6日 (日)

塩沢由典・有賀裕二編著『経済学を再建する』中央大学出版部(2014年)〔5〕

■第5章 新しい国際価値論とその応用(塩沢由典)
1.はじめに
2.リカード貿易理論の最小モデル
3.国際価値論の基本結果
4.輸送費がかかる場合ほかへの拡張
5.生産技術の変化とその影響
6.赤松要の雁行形態論(基本形)

■提案5
 古典派価値論の伝統にたつ国際価値論が成立する。その自然な拡張として輸送費や生産技術の変化を導入することができ、優れた後進国キャッチアップ論である赤松要の雁行形態論といった真に動態的な歴史過程が分析可能となる。

■各節要旨
第1節:新古典派貿易理論としてのHOS理論等は、国際的賃金格差を扱えない、2国間貿易摩擦が分析できない、といった根本的問題点を抱えている。一方、古典派価値論の伝統にたつ国際価値論を構築するために解決を要する3つのリカード問題がある。第1は多数国・多数財への拡張。第2は技術選択可能な理論への拡張。第3は各国の相対賃金の決定への拡張であり、これらは新しい国際価値論の登場で解決を見た。

第2節:リカードの貿易利益の説明の数値例には、問題点が2つあった。1つは、毛織物と葡萄酒の交換比率決定論の不在、もう一つは、2国2財モデルが不適切な数値モデルだったことである。それらを避けるための最小モデルは、2国3財モデルである。J.S.ミルが主観的な意図とは別に、古典派価値論を国際価値論に拡張し損ね、この段階で需給価格論を導入せざるを得なかった真の原因は2国2財モデル上で議論していたためである。2国3財モデルで初めて、国際価値の一義的決定、そして一義的な相対賃金も決定できる。

第3節:M国N財モデルにおいて、生産可能集合の効率的な点の集合は凸多面体の境界面(ファセット)であり、一つのファセットの内点の集合を正則領域といい、最終需要ベクトルが正則領域にあるとき、以下のことが言える。
・国際価値は一意かつ一定である。
・この国際価値の下で競争的な技術の有無が各国産業の特化パタンを決める。
・閉鎖経済から貿易が開始されると少なくとも1国で実質賃金は上昇する(貿易の利益)。
・閉鎖経済から貿易が開始されると少なくとも1国で失業が発生する(貿易の不利益)。

第4節:輸送費0の仮定は、ある国から他国へ財が輸送されるときに財を区別し、それを一つの(輸送)技術と見做すことではずすことが可能となり、正の輸送費の場合にリカード・スラッファ貿易経済を拡張できる。これは、リカード・スラッファ貿易経済においては、各国同一技術を仮定する新古典派貿易理論に比較して格段に一般的な状況で、貿易パターンやその変化が分析可能であることを意味する。
 リカード・スラッファ貿易経済の最も重要な発見は、世界需要が一つの正則領域にある限り、各国の相対賃金率が各国の持つ技術集合の違いのみから説明できることである。

第5節:既存の生産技術メニューにおける技術の切り替えではなく、新技術が技術集合に加わるとき、技術(体系)が変化したとみなせる。この場合、生産可能集合は増大し、ファセットも移動する。一般に、このときフルコスト価格での各国各産業の上乗せ率が同一ならば、実質賃金は上昇する。
 簡単化のために財の投入係数がすべての国で同一と仮定すると、各国間の競争状況は労働投入係数と賃金率の2変数の関係如何に絞られる。ここから、高賃金国は低賃金国との競争において賃金率の格差(倍率)以上に労働生産性の倍率を維持できれば競争力を維持できる。また、この枠組でいわゆる不等価交換論を見ると、高賃金国が低賃金国を搾取しているという主張は正しくない。資本不足の低賃金国がその事態を改善したいのならば、既存の生産工程の改善・改良を通じた労働生産性の上昇を図るべきである。

第6節:国際貿易に関する歴史的産業発展理論として代表的なものに、プロダクト・サイクル理論(ヴァーノン)と雁行形態論(赤松要)がある。しかし、その内容はどちらも歴史的事実の整理、あるいは定型化した事実の記述に終始しており、変化過程を十分に分析的に説明できているとは言いがたい。新しい国際価値論は、技術の相違、賃金率の相違を理論内部で取り扱える利点から、雁行形態論などの真にダイナミックな歴史過程を理論的に分析するツールとしてその応用範囲を広げることが可能となる。

■評
 本章は、著者の最新の理論的到達点である。提案編5編中、最も力のこもっている部分であり、かなり数学的な記述になっている。当然、書評と標榜する以上、評者としても逐一その部分をフォローすべきだが、それは評者の能力を超える。従って、誤読の危険性は残り、評者の理解の範囲での評となる。他の部分を含め、誤解や錯誤は指摘頂ければ幸いである。

 塩沢の新しい国際価値論のアウトラインを知るためには、第2節の2国3財モデルを1ステップごとに追うことが便利だ。この掌編モデルでこの理論のフィーリングはつかめる。その全体像がつかめると、かなり難しいが第3節、第4節も理解半分でも追いかけることが可能となる。

 評者も以前、分業の利益を実感するために、比較生産費の数値モデルをいじくったことがあるが、結局2者2財モデルでは、比較生産性の違いだけでなく、絶対生産性にも格差が存在する2者間で、同時に分業の利益が出るのは、2財の交換比率(相対価格)次第になってしまい、これでは結局わからんではないか、と困った経験がある。従って、著者の2国2財モデルの問題点の指摘をすんなり納得できたし、またJ.S.ミルの困惑には同情を禁じ得なかった。

 著者の不等価交換論への批判は、リカード・スラッファ・塩沢理論からすればその通りだと思う。ただ、不等価交換論の背景には、後進国のモノカルチャー化という問題があり、またその裏面は、農産物や鉱産物等の第一次産品が市況商品であるため、その価格はフルコスト原理とは異なる動きをすること、第一次産品であるがため先進国の多国籍企業である一次産品商社(穀物メジャーなど)の巨大な影響力が避けられず、市況商品であるためシカゴ先物商品市場に見られるように、かなり以前から実質的金融市場化している点、などがあり、理論的にも新しい国際価値論のみから一蹴するわけにもいかない部分もあると愚考する。

 新しい国際価値論(リカード・スラッファ・塩沢理論)は、高度成長期に日本経済の宿痾といわれ、故森嶋通夫も理論化を試みていた「二重経済論」、大企業経済(高賃金)部門と中小零細企業(低賃金)部門の共存、などの日本戦後経済史の議論の再考するきっかけになるかも知れない。

 新しい国際価値論が赤松要の雁行形態論等の議論を分析的に記述する理論枠組として相応しいことに関しては異論はない。ただし、率直に言って、一国規模においてキャッチアップを真の意味で成し遂げているのは、非西欧圏では実は日本だけではないのか、という感も評者には否めない。逆に言えば、典型的な国際貿易、典型的な自由貿易の利益、が存在し得たのは、初期近代から近代にかけての欧州の主権国家群の間だけではないのかという深い疑念がある。つまり、17世紀に先頭を走っていたオランダ、18~19世紀の英国、20世紀の米国、当時それを追いかけるその他の欧州国家群においてのみ、理論が描く自由貿易はあり得たのでは?、という疑問である。新しい国際価値論においても、例えば南北問題を俎上に載せるのは、その社会構造の巨大な相違を考えると、評者は二の足を踏んでしまうのだが。また、この国際経済史の長期の動態論には、人口動態論でいう「近代的人口転換」などからの考察は欠かせないと考える。

〔註1〕第4節で輸送費の問題があったが、最新の経済史では、17世紀(初期近代)におけるオランダの覇権は、その圧倒的に低い輸送コスト(船舶建造技術、ロジスティック技術等)が競争力の基盤となっていたことが、玉木俊明『海洋帝国興隆史 ヨーロッパ・海・近代世界システム』(講談社選書メチエ)
により指摘されている。

 

〔註2〕下記弊ブログ記事も参照。
TPP(⇔自由貿易)を巡るもろもろ(2011年12月)

 

〔結〕

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コメント

塩沢由典様

玉木さんは、川北稔さん(世界システム論)の子分です。それからすると、De Vries の、Householdの変質による労働供給形態の変化や勤勉化というテーマは、内生変数による議論になり、世界システム論という外生変数の変化を重視する立場からはあまり重視されないのでしょう。したがって、当然のごとく、彼らは、17末-18世紀初イングランドの軍事=財政国家化という国制史的議論にもあまり関心を示さないのだろうと思います。

投稿: renqing | 2016年8月17日 (水) 18時30分

玉木俊明さんには、『経済学を再建する』のベースになった研究会に一度来てもらいました。そのとき、いろいろ話したのですが、玉木さんはドフリースの『勤勉革命』には低い評価でした。『最初の近代国家』との比較で歴史家が見るとこういうことになるのかもしれません。

投稿: 塩沢由典 | 2015年10月24日 (土) 22時31分

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