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2015年9月 6日 (日)

塩沢由典・有賀裕二編著『経済学を再建する』中央大学出版部(2014年)〔結〕

■はじめに
 著者は、2014年3月、勤務されていた大学を定年退職された。その機会に著者は2冊を同時に出された。本書塩沢由典『リカード貿易問題の最終解決―国際価値論の復権』岩波書店 、である。

 著者の仕事には、氏が京大経済研究所在籍当時、『経済セミナー』誌(日本評論社)に寄稿されていた幾編かの論文(エッセイ)を偶然読み、俄然惹かれた。当時、評者は学部学生でミクロやマクロの経済学教科書を読んだが、著者の書いたものは、平板な経済学教科書とは全く異質だった。関心を持ったので著者のプロファイルを見ると、これがまた異色だった。京都大学理学部数学科出身とあった。これはそれほど特異というわけでもない。故宇沢弘文や故稲田献一、故二階堂副包など、かつての日本の数理経済学を代表する面々は、全員、東京大学理学部数学科出身である。ちなみに、Kenneth J. Arrowも数学・統計学出身なので、この世代の人々への戦争の影響も共通してあるかも知れない。評者は、当時まだ理論・計量経済学会と呼ばれていた学会の年次大会が、東京八雲にあった東京都立大学で開催され、そこに著者がコメンテーターとして来ることを知り、人物を一目見ようとのこのこ出かけて行ったりした。ご本人を知るとやはりある種変人だったような遠い記憶がある。評者といえば、大学生としてありがちなことに、丸山真男、大塚久雄、Max Weber、等も並行して読んでいた。昔から、知的関心がフラフラしていたのは間違いない。

 著者が少し毛色が違ったのは、数学者となるべくフランスの大学院に留学したにも関わらず、帰国したときには経済学者となっていたことだ。これには著者を送り出した教授たちも驚き、激怒しただろうと推測する。フランスで数学の学位をとって帰国すればポストは用意されていただろうが、当然、これでは数学科に居場所はなくなるだろう。著者はとりあえず経済研究所に身を置くことになったようだ。しかし、経済学研究者として折り目正しい師匠や学統を持たずに職業的経済学者になることは、かつても今もそれほど簡単なことではないはず。(評者からみれば)不遇の助手時代が長かったように思う。そうこうしているうちに大阪市立大学にポストを得て、著者の本格的な経済学批判、代替理論の探求の長い旅が再び始まった。

 『近代経済学の反省』(1983年)の終わりに、新古典派経済学の初歩的な消費者選択問題に「計算の複雑さ」の問題が時限爆弾のように埋め込まれていることの指摘が登場している。この頃から、著者の「複雑さ」「複雑系」をキーワードとした探求が明確になっている。評者も既に学窓を出ており、書店で『現代思想』『理想』といったマニアックな思想雑誌に著者の名を見るたびに買い求め読んでいた。そして、1990年に『市場の秩序学』が出る。評者も早速買い込んで熟読した口だ。1997年に相次いで2冊出る。『複雑さの帰結』、『複雑系経済学入門』である。経過を見るとこれ以降、単行本として「複雑(さ)」を明示した著作を出されてはいない。20世紀末から近年まで、著者が編者として出された書籍は関西経済や都市論以外では、ほぼ「進化」がキーワードとなっている。

 そして本書の著者担当の全5章のタイトルを一瞥しても、「進化」はあるが「複雑(さ)」はない。恐らく、2000年以前に一つの選択を著者がされたと推測する。正直に申し上げれば、『複雑系経済学入門』を読了後、評者はタイトルから過大な希望を持っていたこともあるが、若干の失望を感じていた。「これでは経済学の代替的なディシプリンにならない。」と。憶測でしかないが、似たような問題意識を著者が持たれていたかも知れない。その間、著者は新しい国際価値論の解決に断続的に取り組んでいた模様だ。2007年に一つのブレーク・スルーが訪れ、リカード問題は一気に解決に向ったが、その経済学における意義のアナウンス・説得に手詰まり、2010年代に入りその部分でも見通しが整理され、昨年に二著が出た。

■総評
 著者はその初めから、新古典派経済学の理論体系に納得せず、代替理論の必要性を考え、主張されていた。部品の入れ替えではなく、理論体系そのものの置き換えである。それからすれば、「複雑系」関連の研究も、ある種の迂回だったのだろう。「複雑系」は批判には鋭利で強力な力を持つが、何らかの体系を構築できる理論アイテムではなかったのだと思う。そのため、古典派価値論とその拡張は、「複雑系」ではなく「進化系」と理論的に接合されることになった。評者からみてもそのほうが理論的発展の自然の流れだと考える。

 本書を含めた昨年の二著は著者の約40年に及ぶ経済学批判とその代替理論構築のマニュフェストである。著者は経済学者としての経験から、批判だけではなく代替するためには、代替理論を研究する研究者人口が増加することがまず必要だと考えたと思う。理論研究には、理論パズルの問題の作り手と解き手が必要だ。パズルの作り手はそうそうそこらへんに転がっているわけがない。研究者人口にもそれに相応しい能力の人口分布がある。大抵の研究者はパズルの解き手とならざるを得ない。当然ごく少数の研究者しかパズルの作り手にはなれないだろう。これがノーマル・サイエンスというものであり、それが学問の「進化」というものだろう。パズルを解くことが「小進化」、新しいパズルを創出することが「大進化」である。

著者は、この二著によって、若い世代の研究者たちに全く新しいパズルを提供した。つまり、二著は若手研究者へに呼びかけ、一種のリクルーティングである。今後は、日文・欧文による査読付き論文雑誌の安定的発行、それと同時に業績とリンクするポスト確保が少しずつ進むことが必要となるだろう。著者が切り開いた「進化」を定着させるにはそういった「制度進化」が伴わなければならない。著者の組織作りの経験と手腕が今後も発揮されることが期待される。

■「進化」の行き先
 評者は著者の道程を正しいものだったと思う。それほど経済の学の混迷は深く、時間がかかる。しかし、ここでは著者への評者のない物ねだりをしておこう。著者のマニュフェストへの評者の不満である。

1)「財政」への切り口は?
2014年度の日本のGDPは約490兆円。財政歳出196兆円。政府債務残高1200兆円。政府純債務残高621兆円。

2)「金融」は?
2015年3月末の日本の家計金融資産残高は1708兆円。現預金883兆円。家計債務残高310兆円。企業債務残高346兆円。
BISサーベイによる2013年末デリバティブ想定元本残高710兆ドル(約7京円)。OECDデータによる世界GDPは70兆ドル。

 経済全体の活動規模の約40%を財政が占めている現実をみれば、「財政」を理論的に扱えない経済学はその存在価値を疑われても仕方がない*。また、自由貿易への支持不支持と関係なく国際貿易問題の分析ツールが重要なように、マネーゲームへの批判の有無に関わらず、実物経済の10倍を超える金融取引を分析する理論ツールが重要なのは論を待たない。1)の財政問題も、「財政は実質的に破綻している」と何年も言われているのに、「ではなぜ今、破綻していないのか」の理由を、新古典派経済学者から詳らかに聞いたことがない。「ノイラートの船」ではないが、現代古典派経済学においても、この2大問題に対して何らかのアプローチを用意する学問的義務はあると思う。

*参照
インクリメンタリズムと合理性の限界( Incrementalism under bounded rationality )

3)経済系の「進化」と「人口動態」の関連は?

 以上、雑駁で拙い書評だが、これが評者の限界とご寛恕頂きたい。著者のような異才(変わり者?)が経済学の世界に闖入したことは、経済学にとって僥倖だったと思わざるを得ない。これが30年近く著者を傍目から観察していた評者の実感である。

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〔amazonへのレビュー〕
下記は、上記と同工異曲であるが、若干テイストが異なる。ご参考までに掲載させて頂く。

「却初より作りいとなむ殿堂にわれも黄金の釘一つ打つ」

以下は、塩沢由典氏による「提案編」部分のみの読後感である。その点ご寛恕頂きたい。
 著者が異世界から経済学の世界へ道場破りとして乗り込んでから40年近くの時を経た。著者のディシプリンは数学であり、経済学はすべて独学である。評者は当初興味津々であったが、同時に著者の経済学者村でのサバイバルの可能性に悲観的だった。驚くべきことに著者は生き残った。さらに驚くべきは反新古典派の旗を一度も下ろさず、理論枠組を古典派価値論から一度も宗旨換えせず、この村に地歩を確保したことである。
 著者の反新古典派的生き方を可能としたのは、人ではなく事実と理論に忠実だったこと。生粋の理論家として、彼の学問的良心はそれ以外の選択を自身に許さなかったのだろう。Max Weberは、学問のなしうることは高々、「If~,then~」構造を明らかにすることだけだと、「職業としての学問」で低くしかし明確に断言した。それがどれほど当り前に見えようと、字義通りそれを実践することは困難を極める。著者による古典派国際価値論の完成は、学問の神様からのその応分な報酬だと評者には思える。
 次世代の研究者の卵の皆さん、あなたのLoyaltyは何に捧げますか?

※レビュータイトルは、余りにも有名な与謝野晶子の一句。『草の夢』(1922年)所収。

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コメント

塩沢由典様

「複雑系の行動理論、古典派価値論と数量調整、進化と経済発展という3つの中核機構があり、それらがミクロ・マクロ・ループでつながっている」

この点、了解しました。

複雑な多数の産業群によって構成されている現代の生産システムは網の目のように入り組んでいて、部分的市場が個々に連結されて個々に部分均衡されているわけがなく、遊びを持って緩やかに連結されながらも、経済全体としての整合性(最小価格定理)を有せざるを得ません。

しかし、塩沢さんが「在庫・貨幣・信用」で夙にご指摘のように、個々に既に貨幣所得を実現している各消費者は、貨幣のdecouppling機能によって、個々に任意に消費 or 貯蓄を決定できます。そして人間の心理ほど虚ろいやすく動揺しやすいものはありません。

したがって、〔4〕へのコメントでも書きましたが、日常生活の定常性が破れたり、それが予想されるとき、消費支出というマクロ変数が最も過敏な変化を受けることになります。

そして現代生活では、家計に金融や信用がしっかり組み込まれています。複雑系進化経済学に金融を組み込むひとつのルートは、家屋購入を含む消費者のプログラム行動とその破れ、それに対する銀行信用の拡大・縮小の影響が考えられると思います。

ただ、金融は、信用創造という魔法の杖があるため、通常の経済学スキームに乗せるのは困難だろうと思いますが。

投稿: renqing | 2016年8月17日 (水) 19時10分

「結」のなかに以下の表現があります。

「経過を見るとこれ以降、単行本として「複雑(さ)」を明示した著作を出されてはいない。20世紀末から近年まで、著者が編者として出された書籍は関西経済や都市論以外では、ほぼ「進化」がキーワードとなっている。
 そして本書の著者担当の全5章のタイトルを一瞥しても、「進化」はあるが「複雑(さ)」はない。恐らく、2000年以前に一つの選択を著者がされたと推測する。」

このように見えることは確かですが、「2000年以前に一つの選択を著者がされたと推測」されているのはあたりません。

単行本などで出てこないのですが、2000年以降も次のような論文を書いています。

(1)"Evolutionary Economics in the 21st Century: A Manifest" Evolutionary and Institutional Economics Review 1(1):5-47.

(2)「複雑系経済学の現在」塩沢由典編『経済学の現在1』第2章pp.54-125、2005年。

(3)「概説」『進化経済学ハンドブック』pp.3-134、共立出版、2006年。

これらの中では、かならずどこかで「複雑系経済学」が進化経済学の基礎理論であることを主張しています。つまり『市場の秩序学』(1990年)の第11章「複雑系の中の人間行動」以来、一貫して複雑さと合理性の限界との関係から人間は定型行動を取らざるを得ないこと、それが進化するという論理構造になっています。

複雑さより進化を強調するようになっているのは、ひとつには進化経済学会の中で考えることが多かったこと、1990年当時にはあまりよく分かっていなかった進化と経済システム/経済過程との関係が自分の中で明らかになってきたこと影響していると思われます。

もちろん、だんだん分かってきたことが多いのですが、わたしにとって幸運だったのは、最初からスラッファなり古典派経済学で出発したことです。サンタフェ研究所の複雑適応系やハイエクを代表とするオーストリア学派の複雑系経済学もありますが、どうしても経済学として中核がはっきりしない欠点があると考えています。均衡理論の批判まではいくのですが、その先に進みません。それはどちらも古典派価値論を欠くからでしょう。

複雑系の行動理論、古典派価値論と数量調整、進化と経済発展という3つの中核機構があり、それらがミクロ・マクロ・ルプでつながっているというのが、いまわたしの考えている経済の全体像です。

古典派価値論は、国内の工業製品とサービス、地代論については19世紀にある程度の完成をみました。国内価値論は、スラッファとオクスフォード調査の貢献により、20世紀にはほぼ完成しました。欠けていた国際価値論は、30年掛けてなんとかある程度の骨格ができました。しかし、まだ古典派価値論の手の出ないところがあります。金融市場と労働市場です。金融市場については、昨年から研究会を立ち上げて勉強しています。すこしは言いたいこともありますが、なかなかこの二つは、攻略できそうもありません。

変な喩えですが、あの偉大なニュートンでさえ、古典力学は完成させたが、光学や電磁気学には手が出ませんでした。それと同じで、金融市場と労働市場はなかなか古典派価値論に接合できないものかもしれません。しかし、なんでも説明できると豪語している新古典派・一般均衡理論よりは理論的に誠実ではないかと思っています。

投稿: 塩沢由典 | 2015年10月24日 (土) 23時23分

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