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2015年9月29日 (火)

明日の自分は別の自分

 書き上げたばかりの時には見つからなかった文章の誤記や論旨の不整合が、ある程度の時間をおいて再度見直したときに発見されることがよくある。なんでこんな迂闊な過ちをするのだろう、と一人で顔を赤くするときも一度ではない。

 今までは、書き上げたばかりの時は頭に血が上っているので、時をおき、冷静になると見つかるからだと思っていた。私の友人はよく文を「寝かせる」と表現している。

 しかし、この事態をもっと直裁に見れば、今の自分と明日の自分が別ものだから、と考えてもよい。当然、昨日の自分と今の自分は異なることになる。違う人間が同じ文章を見れば、異なる評価を下すことは当り前だ。

 「進化」の意義は、莫大なscreeningの機会、に尽きる。たかだか人間1個体の「考える」程度では、そうそう改善などされない。そんな限定合理下にある人間でも、それが何万何億人にもおよぶscreeningを経れば、それはそれは見事なものになるだろう。

 Randomnessを通じた進化の威力。善悪を別にして、人間の文明が、(地質学的には)たかだか1万年程度でこれほど劇的な変貌を遂げているのは、日々変化する人間1個体の延べ数百、数千億人の集合的screeningのなせる奇跡なのだろう。

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