知の縮尺
知識には地図のような縮尺がある。
例えば、観光地を巡り歩くのに、日本地図や、まして世界地図を使う愚かな者はいまい。国土地理院発行の2万5千分1の地形図だって使わない。大抵は地元の役所や商工会議所、商店街が作る観光マップを利用するだろう。
日本地図や世界地図が学問上の知識・知見をまとめた書物だとするなら、観光マップは日常生活の具体的な知識だ。前者の「知の縮尺」は大きく、後者の「知の縮尺」は相対的に小さい。観光マップはどの通りにどんな店があるのかを知るためにあるから、日本列島が南北に細長く東西にも傾いていることや、地中海世界が南欧と北アフリカ、小アジアに取り囲まれた世界であることを知るためには役立たないし、そもそもそんなことに使わない。
高級な知識と低級な知識が存在するのではなく、利用者のその活用目的によって詳細度(=縮尺)の異なる知(ないし知識)がその時々に必要となるのである。ブログ主は書痴として「本に溺れ」やすいので、世界地図や日本地図だけでお江戸日本橋の場所を探すようなことにならないよう自戒したい。
※参照、弊記事。
小さな知識と大きな知識
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