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2016年4月18日 (月)

百年後のアルマダ

 1688年6月、イギリスの反国王派(ホイッグ)から極秘にウィレムに渡英の招請状が届けられ、ウィレムもこれを受諾した。ただこの時点ではウィレムにはっきりと王位が約束されていたわけではなかった。これにたいして連邦議会も9月29日ウィレムを支援していくことを全会一致で決定した。

準備は急ピッチで進められ、10月末までに大遠征部隊が編成された。戦列艦など63隻、騎兵・歩兵約15000人、馬6000~7000頭、輸送船・上陸用漁船など約400隻、乗組員・水夫約19000人、総費用約730万フルデン(グルデン)というというものであった。これは規模としては1588年のスペインのアルマダ(無敵艦隊)を遥かにしのぎ、オランダ版アルマダといってよいものであった。したがって、イギリスは悪夢のごときスペインのアルマダからちょうど100年にして、いまひとつのアルマダをむかえることになった。一行は10月30日ロッテルダムに近いヘレフットスライス港から出港したが、強い南西の風にさえぎられて、翌日いったん引き返した。11月11日に再度出港し、15日にイギリス南部デヴォンシャーのトーベイ湾に無事上陸した。そして12月にはロンドンにはいり、翌89年2月ウィレムは正式にオレンジ公ウィリアム三世として即位した。こうして名誉革命は成功し、ウィレムとメアリの共同統治、イギリスとオランダの同君連合が始まる。オランイェ家が長年いだいてきた王家の仲間入りは異国の王というかたちであったがついに実現をみた。イギリス人の血を流すことなく成功したという意味でこれはたしかに名誉革命であったが、その名誉はオランダの威信をかけた大部隊、いうなれば外国軍の威圧によって確保されていたのである。
森田安一編『スイス・ベネルクス史』新版世界各国史14(1998年)山川出版社 、pp.264-265

〔参照〕名誉革命=英蘭コンプレックスの出現 (Anglo-Dutch complex)

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