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2016年4月 9日 (土)

夢窓疎石 一代のプロデューサー

 この時代、幕府と結びついて国教的な位置に立ったのが臨済宗の禅であった。

その基礎を築いた夢窓疎石(1275年-1351年)は高峰顕日の法を継ぎ、長い間名利を避けて修行に専念していたが、51歳のとき、後醍醐天皇の請で南禅寺に入り、後には足利尊氏・足利直義兄弟の帰依も受けた。南北朝の動乱の中で敵味方の差別を否定する怨親平等の理念を掲げ、尊氏・直義を説いて戦没者のために安国寺利生塔を各地に建てさせ、また、後醍醐天皇の追善の道場として天竜寺を創建したが、その費用を捻出するために天竜寺船による元との貿易を図った。このように政治とも深く関わり、また寺院の造園に優れた才を発揮するなど、多方面に活躍した。夢窓自身はあくまで禅を第一に掲げて妥協はしなかったが、自らもこのように多方面に活躍し、また弟子の才能に応じて指導したため、様々な方面に多くの門人が育った。
末木文美士『日本宗教史』2006年岩波新書 、pp.114-115

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