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2016年10月10日 (月)

言葉ともの(language and object)

我々は多種多様のもの(object)の巨大な群れに囲まれて生活している。

例えば、私の周囲には、まずデスクがあり、その上にモニターが鎮座し、見えない下部にはPCが静かな唸り声を休みなくブツブツ吐き出している。私の手指にはキーボードが触れており、その右横にはマウスが蹲(うずくま)っている。私は、どうも部屋の中にいるようであり、いつもの見慣れたものたちが確かにある。

本日は、昨日の天気予報と少し異なり、朝からどんよりした曇り日だ。そういえば今日は体育の日の祭日で、一昔前なら近所の小中学校では運動会を催していたものだ。一昨日あたりから空気は急に秋めいてきて、ひんやりとしてサラッと肌に気持ちがいい。

私は昨日見たものたちと同じものを見、安心して自分を取り囲む環境を把握している(と感じている)。確かにPCやマウスは目に見えるので、あると思える。しかし、本日が月曜日であり、日本全国「体育の日」で学校や官公庁が休みであることは、目に見えないのに「わかる(わかっている)」のはなぜだろう。これは日付表示の時計とカレンダーを見ることで確認できるのだが、時計やカレンダーが表示しているのは数字や記号、絵であって、「今日」や「今日が月曜日」ということではない。

今日が何日の何曜日で、何の日かがわかるのは、自分の暮らす社会に約束事があり、その約束事を私が辛うじて憶えているからだ。これに錯誤が絡むと勘違いすることがあり、私にとっては日常茶飯だ。

では、PCがPC、マウスがマウスとしてわかり、冷蔵庫が冷蔵庫として分かるのは、これらのものが物的に確固として私の外部に存在しているからだろうか。それはどうも違うらしい。一枚の音楽CDを、ボルネオを奥地の首狩りの習俗が残る部族の男に見せるとする。彼はそれで動物の肉を切断できないか試すかもしれないし、狩りに使えるか、投げてみるかも知れない。日本人でも保育園にも行かない幼児に見せれば玩具代わりに早速使いだすだろう。件の男にそこには音楽データが収納されていると説明すれば徐(おもむろ)に耳に当てだすこともあり得る。

我々が周囲の世界を把握できるのは、周囲のものの群れすべてに「名」がついていて、私が社会の約束事を、なにより言葉の約束事を了解し自分でそれを運用できるからである。身体のどこかに異変を感じるとき、それが皮膚に感じる場合、「痛み」ならそれが切り傷の可能性あり、「痒み」なら皮膚の乾燥に伴うものかもしれないし、虫刺されかもしれない。しかし、体内の痛みの場合、痛覚だけでは「どこ」の「なに」が痛いのか容易に把握できない。ある日、急に腰に激痛が走る場合、腰痛には「筋肉」系と「骨」系があることを知っているだけでも、我々はその痛みを一応受け入れられるが、そんな知識でも無いと、恐慌状態になりかねない。

我々は多種多様のもの(object)の巨大な群れに囲まれて生活している、と思っている。だが、どうもそれは少し違うのだろう。

我々を取り囲んでいるのは、実は膨大な「言葉」なのだ。「言葉」で編み上げられた一つの「世界像」なのである。だから、言葉の貼りついていない object は、我々には容易にその存在さえ理解できない。従って、言葉でしか構成できない「環境問題」のような、マクロで長期の object を理解することは難しいし、「Capitalism」という言葉が19世紀半ばに誕生するまでは、「Capitalism」の問題の所在を明確に意識することは困難だった。今でも「Capitalism」を左翼語彙と毛嫌いし、それを「Free enterprise system」と言い換える知的風土の米国には、「Capitalism」の問題は文字通り問題にならないのである。

〔参照〕正名【zheng ming、名を正す】の思想
中国,古代の名分概念。《論語》の〈名が不正だと,礼楽文化は衰微し,刑罰は不当になる〉(子路篇)の〈名を正す〉,つまり事物の実質を正確に認識する称呼(よび名)を保持すること。世界大百科事典 第2版より

論語 子路第十三 3
13-03 子路曰。衛君待子而爲政。子將奚先。子曰。必也正名乎。子路曰。有是哉。子之迂也。奚其正。子曰。野哉。由也。君子於其所不知。蓋闕如也。名不正。則言不順。言不順。則事不成。事不成。則禮樂不興。禮樂不興。則刑罰不中。刑罰不中。則民無所錯手足。故君子名之必可言也。言之必可行也。君子於其言。無所苟而已矣。
論語:子路第十三:3(原文・書き下し文・現代語訳) - Web漢文大系

〔参照〕古今和歌集 仮名序

やまとうたは、ひとのこころをたねとして、よろづのことのはとぞなれりける。世中にある人、こと、わざ、しげきものなれば、心におもふことを、見るもの、きくものにつけて、いひいだせるなり。花になくうぐひす、水にすむかはづのこゑをきけば、いきとしいけるもの、いづれかうたをよまざりけるちからをもいれずして、あめつちをうごかしめに見えぬおに神をもあはれとおもはせをとこをむなのなかをもやはらげたけきもののふの心をもなぐさむるは、うたなり。

〔参照〕人は言葉の外に出られない

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