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2016年10月13日 (木)

人は言葉の外に出られない

カントは、空間と時間が人間の直観の形式であると述べた。そして感性的直観の対象を「現象」とし、我々の感性に現象と映じるものがあるなら、その奥に現象するものがなければおかしいと考え、それを「物自体 Ding an sich 」とした。

ここでカントから学ぶことは(今は)おしまい。カントの立場では人が「物自体 Ding an sich 」にアクセスすることは不可能だから。

しかし、私は思うのだ。「物自体 Ding an sich 」とは「物自体 Ding an sich 」という言葉によって創出された object だと。

人間は、眼の前に何もなくても、「空気」があると考えた。「空気」を除いても「真空」が残ると考えた。さらに「真空」がなくても「場」は存在すると電磁気学は教えてきた。

結局、存在するものは言葉のみで、人は言葉の外に出ることができない生きもの、と言うしかなさそうだ。

無論、動物は人間の言語の外で生きていおり、そうでしか生きられない。さらに言えば、生存するためにそれで十分ということになる。小型飛翔動物の飛行原理を人間はまだ解明できていないが、彼らは人間のそういった事情をどこ吹く風というように、今日も悠然と自重の2倍以上の揚力を(人類には未知の原理で)発揮してホバリングしている。

〔参照〕言葉ともの(language and object)

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