映像歳時記 鳥居をくぐり抜けて風(2016年)
本日、久方ぶりに映画館(ユジク阿佐ヶ谷)で映画を見た。
映像歳時記 鳥居をくぐり抜けて風 (Passing through the Shrine's Gate) - 映画『映像歳時記 鳥居をくぐり抜けて風』の公式ホームページ
本日が上映最終日だった。友人が製作にちょいと関わっているという義理もあり、まあ行くか、と午前11時からのモーニングショーにぎりぎり飛び込んだ。マニアックな映画だろうという先入観があったので、ガラガラと思いきや、ほぼ満席で辛うじて一つ空いていて座れた次第。まず、びっくり。
見終わっての感想は、「もう一度見たい。」惜しいことをした。一か月も掛かっていたのに。何事も実際に動いてみることですな。百聞は一見に如かず。不明の至り。
21世紀の現代日本に残る、祭り、古俗におけるオルギー(熊野での)を見た気がした。自分の身体を圧する、あるいは内部から突き上げる《もの》があるのを発見し、恥ずかしながら少々狼狽。ただしこれは、このフィルムの一部。大部分は鳥居、あるいは鳥居から覗き見える静謐な日本の情景。それだけに、熊野での火祭りには一層興奮してしまった。
三島由紀夫は『文章読本』で、日本における短編小説は、ほとんど詩だと指摘した。詩人の体質を持つ作家が日本では詩そのものではなく、小説を書き、それが短編小説となっている、と。この映画もまさにそれで、詩人の魂を宿すクリエーターたちがその詩心を映像化したものだと言ってよい。あまり詩心(しごころ)があるとは言いかねるブログ主なので、正鵠を得ているのかどうかは多少疑念はあるが、傑作だと評価したい。
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コメント
小笠原 様
鄙びた弊ブログにご足労頂き、深謝。
>映画は、観た人が完成させるもの
同感です。
ジャンルを問わず、創作物は、作り手から生み出されたという事実だけでは、単なる an object に過ぎません。それを享受する受け手という応答があって初めて a work として完結します。何故なら人の生み出すものはすべて他者へのメッセージであり、コミュニケーションだからです。コミュニケーションとは一つのプロセスですから、発信者と受信者という二者が揃わないとプロセスとしての作品は成立しません。
隠棲していた兼好法師が「書き付く」った244段も、七百年後の「私」が享受するとき、法師と「私」のプロセスは成立し、単なる紙上のインクの染み(document)に命が吹き込(animate)まれる訳ですね。
映画や演劇、パフォーマンスは、送り手も受け手も複数であり、特定の日付・場所の共有という偶然も働くだけに祝祭的な力が働きやすいと言えるかも知れません。連歌や俳諧はその中間のようなものでしょうか。
この映画が、様々な人々とともに animate されることを願います。
ユジク阿佐ヶ谷では、池田将氏とともにご尊顔は拝見させて頂きました。お話を伺う機会があれば幸甚です。
投稿: renqing | 2016年11月23日 (水) 12時33分
「鳥居をくぐり抜けて風」をご覧いただき、ありがとうございます。
また、ありがたいお言葉を頂戴いたしました。
私は、映画は、観た人が完成させるものだと思っています。
私自身、また、新たな完成に立ち会えたことをうれしく思います。
どこかでお目にかかった時に、語りましょう。
投稿: 小笠原高志 | 2016年11月23日 (水) 03時10分