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2016年11月

2016年11月30日 (水)

庵野秀明「シン・ゴジラ」2016年

日曜日、立川のシネマシティにて、庵野秀明の「シン・ゴジラ」を観る。
120分間、そこそこ楽しんだ。石原さとみの芝居がどんくさかっただけが唯一の欠点。

エンターテイメントとして成功していることは、興行収入80億円、観客動員数500万人、という数字が物語っている。だから、映画にも、庵野秀明というクリエーターにも、特に詳らかにしない私が、この映画の面白さに関してはコメントする必要もなかろう。従って、感じたことを雑録風に記す。

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2016年11月19日 (土)

我々は過去へと関わるが、過去は我々に関わらない

表題からして意味が不明か。私が言わんとすることはこうだ。
我々はプラトンを知るが、プラトンは我々を知らない。

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2016年11月18日 (金)

映像歳時記 鳥居をくぐり抜けて風(2016年)

本日、久方ぶりに映画館(ユジク阿佐ヶ谷)で映画を見た。

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2016年11月16日 (水)

Schmitt, Voegelin & Strauss

関曠野の六月に出た本の、弊ブログでの書評が前編で頓挫して二ヶ月過ぎてしまった。論点は定まっている。関曠野と梅棹忠夫という、思想的に全く異質な二人の論者の、異なるアプローチによる帰結が一致していることだ。

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2016年11月 3日 (木)

インターフェースとしての言葉( Language as an interface )

今日、地球上に各地に見られる、ヒト以外の多様な生物種は、自然の選択圧のscreeningを受け、fitnessの高い身体(表現型)の生物種へと置換(=進化)して、その生物相を構成している。

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