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2016年11月19日 (土)

我々は過去へと関わるが、過去は我々に関わらない

表題からして意味が不明か。私が言わんとすることはこうだ。
我々はプラトンを知るが、プラトンは我々を知らない。

換言すると、プラトンは我々の友だが、我々はプラトンの友ではない。知らない人間を友とは呼べないから。従って、我々は過去と関連するが、プラトン自身には現代と何の関わりもない。

関曠野が主張するように、プラトンの思想的遺産、国制のアイデアやイデア論などが、ローマ帝国の国制、ローマ教会の組織を介して近世西欧国制や、貨幣思想・資本主義の精神に影響を与えたとしよう。しかしそれは中近世の人々や後世の我々が、多種多様な過去のリソースの中から選択したもの、あるいはその選択の集積に過ぎないのだから、その影響がポジティブであれ、ネガティブであれ、プラトンは無答責としか言いようがない。そもそもプラトン自身が彼のイマジネーションの中であっても、現代の国際金融資本主義を目指していたなどとはとても言えない。すると、現代の生活においてプラトニズムの亡霊が我々を引きずり回していると仮にしても、それは事の半面でしかないことになる。

だから、次に詳らかにすべきはこうだろう。その時々において、人間たちが数ある過去リソース中から、「どのように」そして「なぜ」プラトン(あるいは非プラトン)の遺産を選択したのか。

と言ったことを今つらつら考えている。これを方法論的にすっきりさせたいのだが、今夜の知的リソースが尽きたので、捲土重来としておく。

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