人間の偉大さと健気さについて
なにか、二千年前の哲人の書のタイトルみたいになって、少し気分がいい。
ま、私が書くのだからそんなたいした内容ではない。
ネット等を通じて、データを送受信する際、誤動作やノイズによって、エラーがどうしても発生する。それを放置するわけには当然いかないので、エラーの発見、データ修復をする必要がある。その最も簡易な方法に「パリティ・チェック」(奇偶検査)がある。例えばこんな風。
0、1の数字列を、例えば7桁ごと加算し、これにもう1桁加えて、8桁にしたうえで、その8桁の数字が必ず奇数になるようにする。
第1例
1011011(7桁)→合計すると5となる(奇数)。8桁目に0を加えて
10110110(8桁)として、送信する。
第2例
1011010(7桁) →合計すると4となる(偶数)。8桁目に1を加えて
10110101(8桁)合計すると5となる(奇数)から、これで送信する。
受信する側は、この数字列を8桁ごとに合計して、奇数になっていなかったら、どこかにエラーがあるとわかるので、再び伝送してもらう。
この8桁目を「冗長ビット」という。
私はこの情報通信工学上の工夫をこのサイトで知り、一種強い感銘をうけた。
日常あたりまえにネットでデータのやり取りをしているが、普段気にしないインフラの見えない部分は、こういう見えない小さな技術とその改善によっても支えられていることを実感したからだ。「人間って、なかなかすごいな」と。
ただ、一人二人のアイデアのみなら今レベルまで洗練されることはないだろう。しかし、小さなアイデア、改善、実行が何十人、何百人、何千人と繰り返されると、信じられないほど洗練度が向上する。人間なんて仮に天才級の頭脳を以てしても、一人でやれることに限界があり、矮小なものだ。しかし、その人間も束になって取り組むと一群の人間集団として素晴らしいことをなし得る。
「人間とは、何と可愛らしく、健気なのだろうか」と。
そこそこ偉大で、結構、健気。
人間って、意外に捨てたものじゃない。
そういう連中に、こんな自分でも、己にしかできないことで何かチョビっと貢献したいと素直に思うのだ。
そういう人間たちを、たぶん私は何があっても、嫌いにはならないだろう。
それもそのはず。私は(結構気恥ずかしいが)自分が好きだからね。
度し難いところも含めて。
思わず、感じ入った次第の年頭なのでした。
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