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2017年2月28日 (火)

関良基『赤松小三郎ともう一つの明治維新』作品社(2016年)

一書を全編書き下ろすことは、尋常ではない精力を必要とするだろう。著者は森林生態政策学者である。つまり、本書の内容は著者の専門の畑と異なり、その要求されるエネルギーも倍加する。

人間が何事か成し遂げる驚くべき力は情念に比例し、理性に反比例する。実際、著者の情念は本書の隅々までほとばしっている。にも関わらず著者の筆致は理性の制御を逸脱していない。著者の Scientist としての鍛錬の賜というべきか。

では著者の情念とは何か。それは罪なく命を絶たれた上に、歴史の闇に葬り去られる、という二重の死に喘いできた人々への鎮魂である。そのために著者は、現代日本人の近代史像を屈折させ、その脳裏に実像ではなく虚像を映じさせている「明治維新」という歪んだ物語が単なる歴史の一分岐、それも粉飾された分岐であることを証するため、もう一つの歴史シナリオを掘り起こした。

それは、赤松小三郎を結節点とし、その前後に大久保忠寛や山本覚馬等を配した縦軸と実政治の薩土盟約等を横軸とする、慶応年間に続出する立憲主義に基づく国家構想を抱く一群の人々の流れである。

著者の鎮魂がそういった人々に向けられたとすれば、その義憤は誰に向けられているか。それは、佐久間象山、赤松や立憲主義構想に日本の針路を思い描いていた人々、敵対すると見做した者たちの命を、テロや政治的計略によって次々と奪っていった、明治維新の大立者や後の顕官たち、西郷、大久保、木戸、高杉、伊藤、品川弥二郎といった面々である。

かつて、思想史家関曠野は、歴史を書くとは判決文を書くことなのだ、と喝破した。一方で、死者の口を割らせその沈黙の扉を開くとは、死者を黄泉の国から帰還させ、己を無にして語らせることであろう。そして、史書を通じて此岸に生きる者たちの記憶のうちに死者たちをよみがえらせこと、これが人類の先達への鎮魂であり、歴史家の役目であるならば、著者はこの一書において紛れもなくその任を果たしていると断言して良いと思う。

関良基『赤松小三郎ともう一つの明治維新 テロに葬られた立憲主義の夢』作品社(2016年)
目次
[はじめに]消し去られた政治思想家
第1章 赤松小三郎の生涯と議会政治の夢
第2章 赤松小三郎の憲法構想
第3章 明治維新神話とプロクルステスの寝台
第4章 そして圧政に至った
第5章 長州レジームから日本を取り戻す
あとがき
付録 巻末資料
赤松小三郎略年譜
参考文献一覧

※評者コメント(考えたこと)を以下に箇条書きする。
1.第1章で、アーネスト・サトウが西郷の国民議会論を聞き、「狂気じみた考え」と述べていることに関して、著者はサトウの言を、《分割して統治せよ》というイギリス流の帝国主義政策の意図に基づくものとみなしている。無論、外交の最前線にいる女王陛下の官吏としては当然の思考法ではあるが、実際本国イギリスでの普通選挙の歴史を見れば、男子普通選挙が1918年、女子普通選挙は1928年で、その翌年、89歳で没するイギリス人外交官のサトウにしてみれば、本国で実現していないことを極東の一後進国日本が実施できる訳がない、と考えても不思議ではないと思われる。そこからすれば、西郷や当時の日本で巷間に広がりつつあった国民議会論を「狂気」と評するのも、彼の一ヨーロッパ人としての《文明vs.野蛮》の構図からは至極当然の評価ではないか。

2.長州(や薩摩)になんでこうも信条倫理に凝り固まったファナティックな一群のテロリストが出現するのかについては、「招魂」の問題も含め、思想史的な検討が必要と考えるがほかに、より即物的な理由もあり得る。それは、19世紀に入り、西南日本(すなわち薩長土肥を含む)において、関東・東北日本より人口が増大していることである。国家や社会の制度的なキャパシティが一定のところで、人口増加があると確実に若年人口が失業・ポスト不足に陥いる。すると若者たちは、座して死す、または立ち枯れするよりは、一か八かのリスク選好者となる(己の人生の投企家となる)か、この世を呪うファナティックな信条倫理家になる可能性が高まる。特に、武士層においては上層より下層に人口増圧力は集中する。彼らは庶民と異なり、身分制度に拘束されて商売(business)の世界の飛び込むことも実は許されない。この人口学的背景は、広く言えば、「門閥制度は親の敵」と自伝に書いた福沢諭吉にも、身分制を憎んだ赤松小三郎においても共通する可能性がある。

3.2の点は、19世紀における《藩ナショナリズム》の形成とも関連する(長州を見ると、どちらかと言えば、《藩全体主義》と言うべきかも知れない)。何しろ、19世紀当時に「国家」という日本語彙は存在し、当時、それは大名の統治組織のことを指していた。従って、西郷や大久保、木戸や高杉を文字通り《国家主義者》と言えなくもない。彼らにとり「国家」上層部の門閥層は無定見、無能とみなされ、いち早く迷妄から目覚めた我々《前衛》こそが「国家」を指導すべきだ、というマルキストの自己正当化の論理と似た精神構造が、若年人口圧という下部構造と後期水戸学等の影響という上部構造のアマルガムによって生み出されたとも考えられる。長州にも薩摩にもみられる、政敵は暗殺しても良い、というテロリズムの起源についてはさらに十分な考察が求められるだろう。これは私自身も究明したい問題群の一つでもある。

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コメント

関 様

>私の専門、森林生態学ではなく、森林政策学です。
失礼致しました。訂正してお詫びします。m(_ _)m

それで、貴blogにも「・・代替案」とあるわけですね。確かに、自由貿易問題を論じられていて、理系の方にしては随分お詳しいと考えておりました。

いわゆる明治から続く農学部の農政学の学統を引かれているのですね。すると、柳田国男と同じディシプリンではありますね。

私も貴blogでの議論、多様な方々のコメントから随分、刺激と裨益を頂いています。いずれ関様のように自分の力として世に問いたいと存じます。「今度は自分の番」と思っておりますので、学ばせて頂ければ幸甚です。

投稿: renqing | 2017年2月28日 (火) 23時49分

追記で、一つ訂正です。
私の専門、森林生態学ではなく、森林政策学です。前者は純粋理系ですが、後者は基本的に社会科学分野なので、同じ「森林学」の枠の中でもやっていることは全く違う分野になります。

投稿: | 2017年2月28日 (火) 23時29分

renqingさま

 すばらしい書評、心より感謝を申し上げます。renqingさんのブログとコメントから大きな刺激を受けることがなければ、書けなかった本です。
 歴史家ではないので、歴史学者とは違ったアプローチで一書を編んだのですが、過分な言葉をいただきうれしく存じます。
 さて、サトウの「狂気」発言の真意、人口増大と過激主義の因果関係(今日のイスラム諸国とも共通する問題です)、マルクス主義と後期水戸学に共通する「前衛」精神の問題・・・など、にわかにはコメントするのが難しいです。また吟味の上、私のブログでも話題にさせていただくかも知れません。
 今後ともご指導のほど何卒よろしくお願い申し上げます。

投稿: | 2017年2月28日 (火) 23時05分

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