« 石井紫郎「近世の国制における『武家』と『武士』」1974年 | トップページ | Neurath's Ship »

2017年3月27日 (月)

「東京物語」と国学

映画「東京物語」とかけて、国学ととく、その心は、・・・。

本居宣長。

本居宣長は、幼名小津富之助と言った。むしろこれが本名だった。つまり成人してから改名し、名乗りを全て「本居宣長」としたのだ。

それを知って、ネット上、日本映画史を代表する巨匠、小津安二郎と血縁関係があると記述するものが散見される。その真偽を確かめるため、少し調べたので、書いておこう。

簡単に言うと、書籍ではこの件に言及したものは見つからなかった。もう一度ネット上で調べると、系図の研究をされている方のサイトにたまたま系図研究の一つとしてあり、これでほぼ白黒ついた、と感じた。それは下記。

松坂小津氏一族

上記サイトの最下部の「小津氏一族(11)」の家系図で明らかだが、小津安二郎から5代さかのぼっても、本居宣長の小津家とは共通の先祖がないのは確実なので、同じ伊勢松阪(いせまつさか)の小津家といっても血縁関係はない、と考えてよいだろう。

ただし、そのサイトにも明記されているが、小津安二郎のご先祖の小津家が江戸に進出する際、本居宣長のご先祖の小津家から資金を借りていることは史実であり、また小津安二郎の3代前のご先祖は、伊勢松阪で本居宣長の門弟だった史実もあり、血縁はないが、関係としては大いにある、といって良い。

それよりも、本居宣長と小津安二郎の青春のプロフィールが同じような遍歴を示している事のほうに興味を惹かれる。両人とも子ども時代から文芸の世界に興味と憧れを持っていて、親からは商売の道に進むように仕向けられたが、結局は商売の道になじめず、進めず、自分の好きな道に向かったという遍歴である。

その理由の第1点は、両人とも伊勢松阪の富裕な商人の次男、という共通の出発点を持つことが大きい。第2点は、両人とも商売なんかより学芸の世界が好きだったこと。第3点は、伊勢松阪という都市が放つ、雅かつ町人的な京文化の香りがそうさせているだろうこと。社会学でいう豊かな文化資本を伊勢松阪は持っていた訳だ。

伊勢松阪は、日本文芸史上に燦然と輝く二人の巨人を有したことは、十分に誇ってよいことだと思う。もっとPRしてもいいのにね。

〔参照〕
小津富之助とは何者か?
小津富之助とは何者か(2)

|

« 石井紫郎「近世の国制における『武家』と『武士』」1974年 | トップページ | Neurath's Ship »

映画・テレビ」カテゴリの記事

本居宣長」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/104369/65071336

この記事へのトラックバック一覧です: 「東京物語」と国学:

« 石井紫郎「近世の国制における『武家』と『武士』」1974年 | トップページ | Neurath's Ship »