比較エリート論
日本における東大文Iエリートは、何だかんだ言っても知的に優秀です。それは、EnglandのOxbridge、米国のIvy league、仏のGrandes Ecoles の連中と同質なものです。
すなわち、先進国で学校という screening 装置にかけられて残った連中という意味で、同質です。そうでなければ、人口数千万人から億人単位の近代国家を運転できるはずもありません。
ただ、日本のエリートが他の先進国エリートと異なるとすれば、相対的にまじめ、ということでしょうか。
すなわち、己の property と己の所属する Commonwealth の選択において、少なくとも本人たちの主観的意図では、後者に献身しようという連中は多いだろうと思われます。それは日本人が個人を「人間(じんかん)」と捉える人間観からきています(和辻哲郎『人間(じんかん)の学としての倫理学 (岩波文庫)』)。
それは同じ東アジアでも、宗族(家族=孝)あって国家なし、の中国エリートの国家私物化の途方もなさに比較すれば、同じモンゴロイド系でも対極にあることからも知られます。
儒教を今でも「封建道徳」と勘違いする手合いが多いですが、あれは結局、個人道徳です。個人が有徳(優秀)であれば最終的に天下は治まる。強い個人こそ天下の礎である。こんな道徳観で数千年間、鍛えられていれば、中国人が世界に冠たる個人主義者になるのは理の当然です。強い諸個人が相争い、強い諸個人の頂点に立つ《皇帝》の強権統治のみをしぶしぶ受容する社会それが中国です。したがって、ルール・法や制度におとなしく従うのは愚か者の所業となり、必然的に社会は常に遠心的で不安定となります。社会や国家のトップが愚かでも被治者の相互協力や相互抑制、遵法精神のおかげで何とかワーキングする日本と対極にある国家なのです。
よい、悪いの問題というより、人間集団の社会学的帰結と考えるべきでしょう。
これだけ違うのに、普遍的「近代mordernity」、なるものがある、はずもありません。
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