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2017年5月 4日 (木)

空気は暖められても「軽く」ならない

時折、考えては不思議に思うことがある。よく、一般向け解説や、中学生向け理科解説書で、下記のような文を見かけるのだが・・・。

曰く、

「お風呂を沸かしたとき、よくかき混ぜないと湯船の下が冷たくて、上だけが熱い時がありますが、その理由は水は暖められ《軽く》なって水面に上昇し、冷たい水はそれより《重い》ので足元に沈みこむからです。」

曰く、

「雲ができるのは、水蒸気を含んだ《暖かい》空気は《軽く》なるので上昇しますが、そうすると周囲の大気圧が次第に低くなって、その空気が膨張して水蒸気が水滴になるからです。」

曰く、

「低気圧、高気圧とは、暖められて《軽く》なった空気が上昇しているところが低気圧、冷たくて《重い》空気が下降しているところが高気圧なのです。」

とかなんとか。

しかし、初歩的な物理学に関する私の常識で、物質に熱が加わると「軽く」なり、熱が逃げると「重く」なる、なんてことは読んだことも聞いたこともない。(質量保存の法則)

「質量」にしろ「重さ」にしろ、熱の出入りによってその計測値が変化するなら、既存の物理学がひっくり返ってしまうだろう。

いくら、小学生や中学生相手でも、物理法則に反する説明は、便法だとしても避けるべきだと思う。

代替的な説明はこうだろうか。

物質は、加熱されると(その物質を構成する分子の運動が激しくなり、とりわけ気体や液体は目立って)膨張する。これは空気でも、水でも同じである。膨張するということは、質量(重さ)が同じでも、体積が増加してフワフワと柔らかく(中身がスカスカに)なることと同じだ。膨張していない物質はゴツゴツと固い(中身がギッシリ詰まっている)ままだ。この二つの物質が蓋のない上方だけオープンになっている一定サイズの容器(湯船)に同居していると、柔らかくて大きい物質がより空間の余っている広い上方へ広がろうとし、固くて小さい物質がより下の狭い空間に入り込もうとする。これが、加熱された液体や気体があたかも「軽く」なったかのように上方へ移動し、より冷たい液体や気体が下方へ動こうとする仕組みである。

と書いてきて、体積当たりの重さ(物質密度)は確かに熱の出入りで変化(膨張、収縮)するから、従来の説明でも、あながち全くおかしい訳でもなさそうだ、と思えてきた。
むむ・・・。とりあえず、わかりやすい説明で納得してもらえば良いのだろうか?

捲土重来。

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自然科学」カテゴリの記事

コメント

おお、足踏堂さん

ご無沙汰です。

>「科学」の教科書が、曖昧な慣用的便法?を用いることはやっぱりよろしくない

私思うのですが、理科(自然科学)は、やはり「難しい」ですよね。「伝える」ことも、「わかる」ことも。

Scienceは、我々を取り巻く、《複雑な》自然を、できる限り《単純な》《少数の》原理に還元して整合的に説明しようとするものです。「生の」外界を一気に「わか」ろうとするよりも、その方が「楽に」「わかる」はずですから。

しかし、そのために、日常生活の思考法とかなり異なる、厳密な方法論と多段階の手順、それを辛抱強く辿る「根性」が必要です。これを義務教育課程に入ってくるすべての小学生・中学生に求めるのは酷というものではないのか。

また、中学理科などの場合は、物理・化学・生物・地学すべて、同一の教師が担うことになります。この4分野はそれぞれが《Science》ですが、その向かう対象の特質に従って、それぞれアプローチが異なります。

物理・化学と生物・地学が結構異なりますし、物理と化学でさえ、微妙に異なります。だから、現代においてさえ、化学が物理学に還元し尽くされず、一分野として残っています。

こういう「理科」を本気で、十代前半の青少年たちに伝えようとしたら、伝える側に相当の力量が必要とされるでしょう。

ということは、事実上、Scienceの本質を伝えることは困難となり、逃げ場は「暗記」ということになります。小学生から十代前半の子どもたちの「丸暗記」力は、生物学的な特徴なので、どの子にも求めやすいですから。

これでは、中学段階で「理科嫌い」が大量生産され、高校段階で「非理科的人間」をさらに鞏固なものとしてしまうのは不可避なのでは、と。

となると、世の中の多数を占める「非理科的人間」において形成される《公論》に歪みが出やすいのは理の当然である気がします。

そうなると、以下のような議論が通じにくくなるという帰結になりそうです。

原子力発電は所詮「原子力湯沸かし器」であり、ウラン資源を採掘するには結局大量の安価な「石油」を投入する他ない。ジャンボ旅客機は、「革命的な」「オイルシェール」でも、「原子力湯沸かし器」でも、飛ばせないので、「石油」が枯渇すると、「グローバリゼーション」を根底から支える長距離大量移動・輸送は不可能となる。

すなわち、「石油を代替する」資源という議論は、白昼夢(Daydream)に過ぎない。ピークオイル後の現代の文明問題は、「環境問題」、ましてや「経済成長」どころではなく、「石油」が希少になるまえに、現代文明の人口を含めた《Down-sizing》をいかに軟着陸させるか、が愁眉の急である。

確実なのは、半世紀後、今の子どもたちが老年を迎えるころ、膨大な人口を支持していた「石油」希少化により、食糧を含めた資源争奪が現実のものとなることなのである。

投稿: renqing | 2017年5月22日 (月) 11時52分

これは、日本語の「重い」が、「質量」の意味とは別に、「密度」の意味を持っているためだと思われます。(renqingさんの最後のつぶやきと同じことですが。)
「鉄と綿はどっちが重い?」と聞くときは後者の用法ですよね。

しかし、冒頭のご指摘は大変重要だと思いました。「科学」の教科書が、曖昧な慣用的便法?を用いることはやっぱりよろしくないですよね。

投稿: 足踏堂 | 2017年5月22日 (月) 09時01分

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