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2017年5月29日 (月)

「朕の新儀は未来の先例」

 表題は、今から七百年前の帝王の言である(後醍醐天皇)。一瞬「未来を予言する最良の方法は、未来を作ってしまうことだ」をつい想起してしまう。

 後醍醐が目指したのは天皇親裁の政治だ。モデルとなったのは中国宋朝(人類史における最初期のEarly Modern)の、皇帝による君主独裁政治だった。

 後醍醐は学問好きの帝王だったが、何分、彼が学んだのは、宋朝の君主独裁政治を正当化するための学問=宋学であり、それを可能ならしめ、裏付けとなったプロセスの具体的なケーススタディではなかった。彼は学者ではなく《革命家》だった。そして古今東西、《革命家》のものの考え方は、大抵リセット主義と法令主義、と相場が決まっている。彼のスローガンは、「延喜・天暦にかえれ」であり、そのための手法は《綸旨万能主義》であった。

 したがって、建武の新政はあえなく空中分解を遂げる。そして、後醍醐以降、帝による親政/親裁は日本史上に現れていない。

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コメント

足踏堂さん

>「・・・」と続くのかと思いましたが

はい、まさにそうなんです。

明治の「元勲」たちが、北朝の系譜を「玉」として担いでいるにも関わらず、南朝正統論者で、楠木正成フリークであることを考えると、彼らが建武の新政をモデルにしていることは明々白々です。しかし、彼らのスローガンは「神武創業」に帰れ、でした。そこらへんの捩じれに釈然としないものを感じ、書くのを躊躇した次第です。

投稿: renqing | 2017年6月 1日 (木) 03時39分

「しかし、その500年後、それを理想とする狂気がこの国に現れた」と続くのかと思いましたが

リセット主義と法令主義…いつのことの話かと思ってしまいました(さらにその150年後を生きる身として)

投稿: 足踏堂 | 2017年6月 1日 (木) 02時50分

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