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2017年6月 5日 (月)

呉座勇一『応仁の乱』中公新書(2016年10月) 感想Ⅰ

 表題の本を読んだ。(端折ったので)完読とは言えないため、書評ではなく感想。
以下に連想したことを備忘録としておく。

1.小津安二郎のロー・ポジションのカメラワーク
2.宮崎市定「東洋史の上の日本」(1958年)

(乾燥した華北の椅子・机生活の中国建築に対して、多雨のため縁が高く、下足を脱いで床・畳に直に胡坐・正座をする日本建築では)「日本の家具は概して高さが低く、これに従って、他の調度品もまたそれに応じた高さにつくられるのである。硯一つを例にとって見ても、高い机の上におく中国の硯は背が高くどっしりしているのに反し、低い机の上におく日本の硯は、更に低い平ったい箱の中にしまわれるように出来ている。しかし直接に畳の上におく酒徳利は、中国の酒壺よりもせいが高い。坐ったときの目の高さが床からどの位の高さにあるかということは、生活必需品に微妙なニュアンスを与えるものである。」宮崎市定著『古代大和朝廷』筑摩叢書327(1988年)所収、P.227

 私の歴史に対する見方は、塩沢由典の複雑系理論に決定的に影響されている。塩沢は、《世界》の複雑さに比して、人間個人の能力の限界を三つ指摘する。

①視野の限界
②合理性の限界
③働きかけの限界
塩沢由典「ゆらぎ・あそび・ゆとり」(1989年)、
同著『複雑さの帰結』NTT出版(1997年) P.154

 歴史を考察する場合、歴史上の登場人物たちに、A「何が見えているのか」(「視野の限界」)を常に意識しなければならない。また、可能ならばB「何が彼ら当事者にとり当たり前のことなのか」にも注意を払うべきだ。ただ、Aも困難だが、Bはさらに難しい。なぜなら、Aは残された文書から(同時代人の視野を)再構成することも可能だが、Bはそもそも文書にさえ残らない危険性が高い。

 なぜなら、文書を残す当事者としては、自分にとり「当たり前」のことは書き残す必要性がないから。しかし、歴史が変わるとは「当たり前」が変わってしまうことでもある。従って、過去人が当時の「当たり前」に基づいて行動していると、未来人である我々にはちょっと理解しがたい局面がまま出てくる。歴史理解の最も困難なところだ。鎌倉「幕府」が時代を降るごとにその権力の集中度を高めているのに、なぜ最後にはあっけなく崩壊したのかが、現代の歴史研究者にとってさえ「謎」なのは、この歴史認識論的な問題が伏在している可能性が高い。

 歴史叙述において「視野の限界」を堅持するひとつの方法が、今回の呉座氏の本の(二人の僧の視点というローポジションに固定した)アプローチだと評価できる。

感想Ⅱに続く(予定)

〔参照〕『応仁の乱』/呉座勇一インタビュー|web中公新書

〔参照〕弊ブログ記事 内藤湖南「応仁の乱について」1921(大正10)年8月

呉座勇一『応仁の乱 戦国時代を生んだ大乱 』中公新書(2016年10月)

【目次】
はじめに
第一章 畿内の火薬庫、大和
1 興福寺と大和 / 2 動乱の大和 / 3 経覚の栄光と没落
第二章 応仁の乱への道
1 戦う経覚 / 2 畠山氏の分裂 / 3 諸大名の合従連衡
第三章 大乱勃発
1 クーデターの応酬 / 2 短期決戦戦略の破綻 / 3 戦法の変化
第四章 応仁の乱と興福寺
1 寺務経覚の献身 / 2 越前の状況 / 3 経覚と尋尊 / 4 乱中の遊芸
第五章 衆徒・国民の苦闘
1 中世都市奈良 / 2 大乱の転換点 / 3 古市胤栄の悲劇
第六章 大乱終結
1 厭戦気分の蔓延 / 2 うやむやの終戦 / 3 それからの大和
第七章 乱後の室町幕府
1 幕府政治の再建 / 2 細川政元と山城国一揆 / 3 孤立する将軍 / 4 室町幕府の落日
終章 応仁の乱が残したもの
主要参考文献
あとがき
関係略年表
人名索引

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