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2017年6月24日 (土)

慶長三年のGDP

 国力を数量(数値)化し、それを国力増進の糧にしようとするのは、主権国家が並存、競合、角逐していた近世西欧人の特徴的思考法だ。代表例が政治算術(political arithmetic)と呼ばれた一群の人々、ペティやグラントといった17世紀人である。

 しかし、彼らは権力者ではないので、そういう言説(discourse)を公表し、知的運動化しただけだ。ところが、ここにそんな議論をすっ飛ばして、実現してしまっている例がある。

このころ、一応太閤検地の規準が整備・確定されたといえる。すなわち、
(一)三百六十歩一段の旧法を改め、六尺三寸を一間とする三百歩一段の制をとって、町・段・畝・歩などの定量単位を採用する、
(二)地目は田・畑・屋敷とし、地位は上・中・下の三段階とし、別に下々地を設ける、
(三)十合一升の京枡による石盛(田畑一段当りの収米量)の法をもって、土地の生産高を査定し、旧来の貫高等の年貢高による土地表記を石高に改める、
(四)検地にあたっては村と村との境界を明らかにする村切〓示(むらぎりぼうじ)を立て、村切を行う、
以上がその統一規準の要領である。ここにはじめて統一した方法による全国的な土地調査が完成されることとなるのである。慶長三年の『検地目録』によると、全国総石高は千八百五十万九千四十三石(壱岐・対馬を除く)となっている。
国史大辞典(吉川弘文館)/検地/後藤陽一

 上記の慶長三年(1598)全国総石高18,509,043石というデータは、いったい何だろうか。これは一国家の総生産力、としか言いようがないのではないか。現代の言葉で言えば、GDPのモデル値。それも推計値ではなく(そんな技法がまだある訳もないが)、全数検査で、である。

 ちっとも知的にカッコ良くなく、近世権力の強権で達成されたものだが、結果そのものは、近世日本人の《数量的世界観》ないし《数量的国家観》の集大成と評価せざるを得ない。この意味を近代以降の日本の知識人たちが考えた形跡がないというところに、近代日本人がいかに西欧人の思考枠組で自分自身を見つめていたかが、端無くも露呈していて、残念と言うしかない。

〔参照〕「政治算術」については下記弊ブログ記事も参照を乞う。
川北稔『イギリス近代史講義』講談社現代新書(2010年)〔その5〕

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