明治日本の《米国化》/ The Americanization of Meiji Japan
明治九年二月、昭憲皇太后(明治皇后)は先にその開校式に行啓した「東京女子師範学校」に、以下の歌を下した。
みがかずば玉も鏡も何かせむまなびの道もかくこそありけれ
この歌は、明治二十年三月、「女子学習院」にも下され、下記の校歌となる。
「金剛石」
金剛石も みがかずば
珠のひかりは そはざらむ
人もまなびて のちにこそ
まことの徳は あらはるれ時計のはりの たえまなく
めぐるがごとく 時のまの
日かげをしみて はげみなば
いかなるわざか ならざらむ
さて、この昭憲皇太后の歌には元ネタがある。それが以下である。
6. Industry.
Lose no time; be always employ'd in something useful; cut off all unnecessary actions.
6.勤勉
時間を空費するなかれ。つねに何か益あることに従うべし。無用の行いはすべて断つべし。
これは何か? ベンジャミン・フランクリンの自伝(The Autobiography of Benjamin Franklin)にある13の徳目のうちの6番目の勤勉(INDUSTRY)だ。
昭憲皇太后は、嘉永2年(1849)4月17日、左大臣一条忠香(ただか)の三女として生まれている。当時まだ徳川の世であるから、屋敷とその近所くらいしか出歩けないはずで、教育も公家伝来のものだろう。そういう堂上貴族の娘が明治皇后となって8年後の事である。直接には侍講の元田永孚がこのフランクリン自伝を講義したことが契機となって、12の徳目すべてを和歌にしている。
こんなことが可能となるのは、徳川生まれの深窓のお姫様に 、「Time is money.」に共鳴し得るメンタリティがあればこそだろう。現代日本人の常識では、19世紀の西欧の衝撃(Western Impact)から近代日本が始まることになっているが、その実態は「西欧化」ならぬ「米国化」であり、少なくとも19世紀江戸人が「米国化」にフィットする精神を形成済みだったと考えざるを得ない。そういう意味では、日本人が米国に一種独特の愛憎を持ちやすいのも無理からぬことと思えてくる。
註1.
The Autobiography of Benjamin Franklin, 13virtues
1. Temperance.
Eat not to dullness; drink not to elevation.
2. Silence.
Speak not but what may benefit others or yourself; avoid trifling conversation.
3. Order.
Let all your things have their places; let each part of your business have its time.
4. Resolution.
Resolve to perform what you ought; perform without fail what you resolve.
5. Frugality.
Make no expense but to do good to others or yourself; i.e., waste nothing.
6. Industry.
Lose no time; be always employ'd in something useful; cut off all unnecessary actions.
7. Sincerity.
Use no hurtful deceit; think innocently and justly, and, if you speak, speak accordingly.
8. Justice.
Wrong none by doing injuries, or omitting the benefits that are your duty.
9. Moderation.
Avoid extreams; forbear resenting injuries so much as you think they deserve.
10. Cleanliness. 84
Tolerate no uncleanliness in body, cloaths, or habitation.
11. Tranquillity.
Be not disturbed at trifles, or at accidents common or unavoidable.
12. Chastity.
Rarely use venery but for health or offspring, never to dulness, weakness, or the injury of your own or another's peace or reputation.
13. Humility.
Imitate Jesus and Socrates.
The Autobiography of Benjamin Franklin edited by Charles Eliot presented by Project Gutenberg
註2.
日本語訳(岩波文庫版)
1.節制 飽くほど食うなかれ。酔うまで飲むなかれ。
2.沈黙 自他に益なきことを語るなかれ。駄弁を弄するなかれ。
3.規律 物はすべて所を定めて置くべし。仕事はすべて時を定めてなすべし。
4.決断 なすべきをなさんと決心すべし。決心したることは必ず実行すべし。
5.節約 自他に益なきことに金銭を費やすなかれ。すなわち、浪費するなかれ。
6.勤勉 時間を空費するなかれ。つねに何か益あることに従うべし。無用の行いはすべて断つべし。
7.誠実 詐りを用いて人を害するなかれ。心事は無邪気に公正に保つべし。口に出だすこともまた然るべし。
8.正義 他人の利益を傷つけ、あるいは与うべきを与えずして人に損害を及ぼすべからず。
9.中庸 極端を避くべし。たとえ不法を受け、憤りに値すと思うとも、激怒を慎むべし。
10.清潔 身体、衣服、住居に不潔を黙認すべからず。
11.平静 小事、日常茶飯事、または避けがたき出来事に平静を失うなかれ。
12.純潔 性交はもっぱら健康ないし子孫のためにのみ行い、これにふけりて頭脳を鈍らせ、身体を弱め、または自他の平安ないし信用を傷つけるがごときことあるべからず。
13.謙譲 イエスおよびソクラテスに見習うべし。
註3.
平川祐弘『東の橘 西のオレンジ』1981年文藝春秋、P.82
ここまで述べると、戦前・戦中に育った読者にはぴんとくる歌があるだろう。それは「金剛石」の小学唱歌である。明治二十年、美子皇后のお歌は奥好義の作曲にあわせて敷衍され、やがて日本国中津々浦々に愛唱された。
註4.
〔平凡社世界大百科事典/フランクリン/斉藤 真 筆〕
その点,明治維新以降日本が〈近代化〉を目ざすときに,この代表的近代人が一つのモデルとされたことは当然であろう。宮中でも彼の《自叙伝》が講ぜられ,昭憲皇太后がフランクリンの12の徳目を和歌にし,それが華族女学院の校歌にまで発展する。
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