« 凝固点降下と文明史(1) | トップページ | 凝固点降下と文明史(3) »

2017年10月19日 (木)

凝固点降下と文明史(2)

 自然科学という分野の(個人的に)嬉しい点の一つは、一見全く異なった現象を同じ原理で統一的に理解できることだ。なぜ嬉しいのか。私は記憶力が悪い。一つの原理で二つの現象を理解できる(一石二鳥)なら、記憶する手間が一つ確実に減る。これが嬉しい。

 この「凝固点降下」あるいは「融点降下」という現象が人類の文明史上、決定的に重要な分野がある。《鉄》である。もう少し正確に言えば、《鉄を作る》、要するに製鉄のこと。

 製鉄といえば、溶鉱炉をすぐ想起されるだろう。鉄が真っ赤に溶けて流れる図だ。常温下では固体である鉄が、液体になるわけで、その温度は鉄の融点を超えていなければならない。混じりっ気のない純鉄は融点1536℃である。つまり、溶鉱炉から流れ出る溶けた鉄は少なくとも1500℃以上になっている(はず)。ところが、通常の製鉄法では、第一段階の高炉(溶鉱炉)から出てくるあのドロドロの鉄の液体(銑鉄)は、1100~1200℃なのである。

 この謎を解く鍵は、炭素にある。鉄(Fe)と炭素(C)はある種の因縁を持った物質の組み合わせで、鉄(Fe)に炭素(C)が吸収(吸炭)されると融点が下がる、という不思議な現象が起こる。鉄は炭素濃度が高まると徐々に融点が降下し、4.2%で1154℃まで鉄の融点が下がる(ただし、これ以上濃度が増えても融点は下がらない)。これなら、1200℃でも十分、「溶鉱」していることが納得できる。

 しかし、いま一つ素直に納得できませんよね。だって、溶けてもない鉄(Fe)にどうやって、炭素(C)が吸収(あるいは溶融)するのか、と。

〔参照〕本シリーズは完結しています。ご笑覧頂ければ幸甚。
凝固点降下と文明史(1)
凝固点降下と文明史(2)
凝固点降下と文明史(3)
凝固点降下と文明史(4)
凝固点降下と文明史(5/結)

|

« 凝固点降下と文明史(1) | トップページ | 凝固点降下と文明史(3) »

歴史」カテゴリの記事

自然科学」カテゴリの記事

technology」カテゴリの記事

文明史」カテゴリの記事

コメント

ヒルネスキーさん

こちらこそご無沙汰しております。
>『日本社会の構造転換(4)』への返答
は、あまりお気になさらずに。blogの性質上、
気軽に書き込み、応答することにメリットが
ありますので。

>……ひょっとしてこういう論考と関係あるんでしょうか
 関係ありますね。ただし、若干、事実誤認があります。引用文中の、「ただし 製鉄自体は最低400℃から可能。」は、訂正が必要です。
詳細は、本記事の(3)に続編を書く際に触れますが、鉱物資源としてひろく分布している鉄は、隕鉄を除いて、酸化鉄として自然界に存在しています。

したがって、それを人間が有効に鉄資源とするには、「還元」(「酸化」の逆過程)処理が必要です。中近東や欧州大陸に産する鉄鉱石は、赤鉄鉱であり、日本のたたら製鉄の材料(砂鉄)は、磁鉄鉱で、その風化したものです。どちらも、酸化鉄です。

赤鉄鉱が木炭によって還元反応を始めるのは、600℃前後からですが、それは還元反応が始まるだけで、本格的に鉄が生成するのは、800℃以上必要です。磁鉄鉱は難還元性なので、木炭でやっても還元反応の開始は、1000℃前後となります。

従いまして、引用文中の「製鉄自体は最低400℃から可能。」は盛り過ぎで、正確ではありません。弊記事の援用文献は、記事中に示しますが、その執筆者は、金属工学の学者ですが、自ら、現代風にアレンジした「たたら製鉄」を開発し成功している筋金入りの、「鉄男」ですから、現代日本で最も信頼できる学者だと思われます。

ということで、とりあえず、続編を少しお待ちください。

投稿: renqing | 2017年10月23日 (月) 03時55分

お久しぶりです。
『日本社会の構造転換(4)』への返答は自分の中で考察がまとまりません……すみません。

……ひょっとしてこういう論考と関係あるんでしょうか<溶けてもいないのになぜ鉄に炭素が


>・鉄の製錬は銅よりはるかに低い温度で可能
>・よって「鉄器の普及に高温を保てる炉の発明が必要だった」という説は誤り
>・最初に鉄器を大量生産したヒッタイトの炉でも鉄を融解させられていない

鉄器は青銅器に先立つか。鉄器は青銅より低い温度で作れるという別世界の常識
http://55096962.at.webry.info/201402/article_24.html


>現時点の私の結論では、鉄器が青銅器を凌駕して全世界に広まっていったのは、銅より産地が多く原料が容易に手に入りやすかったから というものを仮定している。

ヒッタイト帝国滅亡と「鉄の解放」、その後の鉄の伝播速度についての覚え書き
http://55096962.at.webry.info/201410/article_16.html


>鉄の融点は1,538°C。
>銅の融点は1,085°C
>ただし 製鉄自体は最低400℃から可能。

「鉄」にまつわる信仰と誤解、鉄器が広まらなかったのはヒッタイトが秘匿したからではない可能性あり
http://55096962.at.webry.info/201606/article_5.html


>初期の鉄器は錆びやすいし脆くて、強度としてはむしろ青銅より下になる
>もし鉄が青銅よりはるかに強かったんなら、ヒッタイト以前に住んでた人たちはヒッタイトに制服されてないだろう
>「鉄」の技術は、最初は農具など消耗品に多く使われる。
 簡単に大量生産できたこと、材料が手に入りやすかったこと、それが鉄が青銅より優れていた点なのだ。

ヒッタイト=鉄の帝国 というイメージの変更/鉄の伝播はヒッタイト帝国崩壊が切っ掛けではない
http://55096962.at.webry.info/201706/article_20.html

投稿: ヒルネスキー | 2017年10月22日 (日) 13時11分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 凝固点降下と文明史(2):

« 凝固点降下と文明史(1) | トップページ | 凝固点降下と文明史(3) »