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2017年11月26日 (日)

高校の図書室にまつわる回想

 高校では割と図書室に入り浸っていた。帰宅部だったこともあるし、図書室司書のお姉さんの魅力に惹かれたこともある。

 数学が(得意でもなかったのに)好きだったので、クーラント/ロビンズ『数学とはなにか』(岩波書店)を書架で見つけ借り出した。アルキメデスが微積分の先駈けだったことなど知ったりした。そこで数学基礎論なるものに興味がわき、同じ書架にあった水色の本(書名を思い出せないが装丁が水色で、数学基礎論の本だった)を読んだら、基礎論ていうのは随分変なことを考えるものだと感心した。自然数概念をきちんと数学上に構成した「ペアノの公理」の名を知ったのもこの時だ。「クラインの壺」という妙なものを知ったのもこのときか。いやこれはアシモフの本を読んで知り、担任の数学教師(生徒にはガッチャマン呼ばれた)に「これだよ」と図を教えてもらったような気もする。

 大学への進路相談で、この担任に数学専攻の希望を伝えたら、何度となく繰り返し、ネチっこく「止めたほうがいいぞぉ」と説得された。「食えないぞ」「教師しかなる道はないぞ」とか。ガッチャマンは確か理工学部出身で教職をとり数学教師になっていた。父親からも「実学をやれ」とか何とか言われ、数学か歴史か、と考えていた私は、全く中途半端に、経済なるものを選択した。今でも心の奥底に悔いが残るのは、この時のことだ。若者がどれほど未熟で、思慮が浅薄であるかのように見えても、まずは本人の望むようにやらせるほうがよい、と思う。ただ一方で、周囲にどれほど反対されてもそれを貫く情熱が本人にあるなら、乗り越えられそうな気もするので、ちと迷うところではある。その頃の私は父親のイエスマンで、それ以外に選択できるとは想像できないほど従順だったので、どうしようもない面もあったのだが・・。

 高校の図書室には意外な本がよくあった。図書カードをぺらぺらめくったら(懐かしいですな)、『関孝和全集』(1974年)を見つけたので、さっそく書庫からを出してもらい、拾い読みした。関孝和が西洋数学の微積分に到達していたというのはある種の神話で、円の面積や楕円、サイクロイドの性質を求める中で、求積法として極限の概念に届いていたらしいことは違いないらしかった。他に、ニュートンの補間法、連立方程式、行列式、なども独自に発見していたらしい。なんてことを、定期試験の前あたりの「敵前逃亡」心理で、図書室に潜りこんで「ふ~ん」と一人で悦に浸っていた。件の女性司書に「あなた余裕あるわねぇ」と皮肉交じりに呆れられた。彼女の存在も、図書室詣する大きな理由だったのだろうと今は思う。書架に、中国漢詩文全集みたいなものがあったので、漢文に凝り、一時は熱中して読んだ(はず)。白文がどうにか読めるようになったことが嬉しかったりした。

 当時の知的好奇心をそのまま全面的に伸ばしていれば、今頃、〔Max Weberに匹敵する( ̄Д ̄;;かも知れない〕偉大な学者になっていたのではないかと、ふと、思ったりもする。ただし、自慢ではないが私には、白川静のような根性は無く、Max Weberのような狂気もない。根性も、狂気もなくて、偉大なことが出来る訳がない。冷静になり反省すると、単なる妄想、白昼夢に過ぎないと、残念ながら自得した。

弊ブログ記事を読み直していたら、少し思い出したので備忘とする次第。

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