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2017年12月13日 (水)

古墳は《お墓》ではない?(1)

 表題は意図的に書いてみました。というのも、《お墓》なら、古墳、とりわけ大王あるいは天皇クラスとみなされる全長数百メートルに及ぶ巨大な前方後円墳で、被葬者がいま一つわからん、なんてことが起きる訳がない、と思うのですね。

 大王の偉大さを顕彰するために、大仙陵古墳(仁徳天皇陵)のケースだと、前後16年、延べ680万人(2000人/日)という途方もないマンパワーを投入しておいて、「いや~、誰が葬られているのか今一つわかんらんのですよぉ」では、いくらなんでも理屈に合わないでしょう? では、何か。

 まず、被葬者がわからない理由を考えてみます。
1)当時は文字が無かった(無文字社会だった)。
 無論、弥生日本語はあったでしょうし、1人1人に名はあったでしょう。ただ、それを記録する媒体(文字)を弥生人は持たなかった。記録が無ければ、数世代(約100年)も経れば、確実な被葬者名は不明となる、と言う訳です。
 以前の記事でも触れた通り、漢字音を弥生日本語表記に応用した実物は5世紀後半の埼玉県稲荷山古墳鉄剣銘文が初見です。したがって、少なくとも古墳前期(おおよそ4世紀)には弥生日本人が自らの名を文字(漢字)で記録することはまだできなかったと思われます。しかし、《大王》ですからねぇ、周りに外交文書(漢文)を作成する渡来系秘書もいたでしょうから、古墳中期(おおよそ5世紀)や古墳後期(おおよそ6世紀)の《大王》クラスの古墳には、さきほどの鉄剣銘文や他の金石文で墓誌が残されている可能性は結構あると思いますが・・・。宮内庁が方針転換してくれないことには何も進まないでしょうね。

2)故人の事績賛美が主目的ではなかった。
 被葬者である《大王》を個人(person)として賛美するつもりはなかったかも知れません。だから、故人(個人)の名はあまり重要ではなかった。だから、残す必要も低かった。ではなぜあれほど巨大なもの(object)を作ったのか。逆に言えば、古墳が故人顕彰の手段ではないとするなら、古墳の築造そのものが目的だったと考えることも可能でしょう。それならそれで何の益があったのでしょうか。

 故人埋葬(大王賛美)以外の古墳の目的
1)共同体のまつ(祭)りごと、として

「『誰それが眠る墓』という意識よりも、共同体のまつりの場として長の墳墓を築くという宗教的土俗性に遅くまでおおわれていた日本列島の古墳」
松木武彦『未盗掘古墳と天皇陵古墳』2013年小学館、P.46

2)まつりごと(政)として

「この視点を以て記紀の物語における神々を考察すると、われわれは一つの驚くべき事実に突き当る。神代史において最も活躍している人格的な神々は、後に一定の神社において祀られる神であるに拘はらず、不定の神に対する媒介者、即ち神命の通路、としての性格をもってゐる。それらは祀られると共にまた自ら祀る神なのである。さうしてかゝる性格を全然持たない神々、即ち単に祀られるのみである神々は、多くはたゞ名のみであって、前者ほどの崇敬を以て語られてゐない。」
和辻哲郎『日本倫理思想史』上巻、P.66、昭和27年、岩波書店

(2)へ続く

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