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2018年1月 1日 (月)

2018年の抱負(ver.2)

 明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願い申し上げます。
 今年の抱負は、本を読むことではなく、本を書くことです。以下、その備忘録。

1.読んで理解できる日本通史

 現代の、例えば山川出版社「詳説日本史B」は、本当に詳説で、必要なことはほぼ全て書き尽くしています。

「歴史学の新しい研究の成果を十分に織り込み、包括的に叙述することを心がけた。また、日本史の全体像が理解できるよう、なるべく詳しく記述しているので、その内容をよく消化すれば、日本史についての十分な知識が得られると思う。」

という自信に満ちた緒言は嘘ではありません。脚注や図表・写真のキャプションも含めれば、「日本史について十分な知識」は紙面に印刷されています。これを、450頁に満たないスペースに成し遂げている執筆者の方々の努力には敬服の念を持たざるを得ません。

 しかし、「知識を伝える」ことと「知識が伝わる」ことは同一なことではない。これを読んで、青少年が「よく消化」できるかと言えば、なかなか難しそうです。彼らが若さに任せて暗記するというアプローチをとるなら、それをやってしまえる若者もいるでしょう。ただし、相互にリンケージされていない知識は時間の推移とともに長期的には減衰し雲散霧消する運命にあります。それが大脳の健全な忘却法です。

 山川日本史は極めて優れた教科書ですが、一読して理解できる、というタイプの本ではないと思われます。いうなれば日本史データベースに近いものです。販売価格・頁数に上限のある教科書という制約、最新の研究成果を反映させたいという執筆者たちの学問的良心から、《大切な史実》を《限られたスペース》に《押し込む》ことによって、日本の歴史の理解に必要な知識を書き尽くすこと、即ち、《事実の羅列》に至るのは、誰がやっても避けられません。

 すると、大学入試センター試験では毎年15万人ほどの若者が日本史を選択しますが、彼らの膨大な日本史の「知識」は大学を卒業する頃にはかなり減衰し、社会に出て10年も経過するとほぼ消失していると予想できます。

 私が思い描く日本史は、読み通したら、知識のネットワークとして頭に収まる日本通史です。それには素材(史実)の軽重を取捨し選別して関連付けることで、一本一本の色の異なる糸が織られて一つの反物となったときに出来上がる柄や意匠のように、個々の史実が全体の中で意味を持つような日本通史です。
 今、作業中なので、その難しさに直面して困惑しています。が、やるつもりです。


2.テクノロジーと金融から見た新しい近代産業資本主義の歴史

 工業資源が相対的に希少と考えられている近代日本が、昭和初期には、非欧州圏で唯一それなりの工業化レベルに達したこと、第二次大戦後には、世界有数の資本主義産業国家となったことは、やはり再考に値することだと思います。それをすることで、欧州圏の近代資本主義の本質も見えてきます。

 特に、動力系テクノロジーの出現、それを可能とした淡水資源の分布、エネルギー資源としての石炭と石油の本質的違い、これらは経済社会の工業化に関わります。金融システムの誕生は、工業化前の近代資本主義の誕生を意味します。

 欧州で相次いで起きた経済の金融化(17世紀)と産業の動力化(18世紀)は、二つともEnglandの地で偶々発生しましたが、この二つに歴史的必然性は皆無でした。金融化の端緒はそもそも大陸低地地方(ネーデルランド)です。しかし、起きてしまった後には、その二つは有機的に結びつき、現代資本主義の骨格を形成しました。中近世まで人類文明の先端を行っていたイスラム帝国や中華帝国が近世後半おいて欧州にかわされしまうのは、動力系テクノロジーを可能とする豊富な淡水量の違いが関連しています。相対的に遅れていた日本が近代になって工業化で急激にイスラム帝国や中華帝国を抜き去るのは、日本列島に潤沢にある淡水資源のおかげで、人力・畜力から燃焼機関による動力系テクノロジーへの転換が可能だったからです。

A. Smith も D. Hume も、Scotsであって、English ではないことに注意。

 工業化、産業化の歴史には、エートス的な側面もポジティブに関連しますが、もっとダイレクトに動力系テクノロジーへの転換の難易が関連し、それは石炭・石油という資源の問題ではなく、水の問題だというのが私の見通しです。そして、初期近代に、つまり工業化前に勃興した資本主義の本質は金融化でありその両面から比較資本主義史を描きたいと考えます。ポメランツの大分岐論に生態学的視点はありますが、動力系テクノロジーや金融の視点がありません。二つの視点から大分岐のアナザーストーリーを描きます。


3.徳川文明史

 これまでも、徳川日本(「江戸時代」という言葉は明治官学アカデミズムの語彙なので私は使いません)に関して、とりわけ《近代化=西欧化》という視点から随分議論されてきました。ただ、残念ながらこういうアプローチでは、大抵、西欧(初期近代)という理想的モデルに対して、徳川日本がどう匹敵し、どう遜色があるのか、というところに議論が落ち込んでいました。しかし、21世紀の現代人にとって徐々に明らかになりつつあることは、西欧近代の歩んだ歴史経路が、ひょっとすると異常、といっては強すぎるなら、逸脱的な歩み、それも《合理性への逸脱》だったのではないのか、ということでしょう。

 そこで、視点を逆転させて、徳川日本を《近代化》のモデルにして、西欧近代の異様さを検証することが考えられます。無論、近世中華帝国や近世オスマントルコから照射することも可能でしょうが、「餅は餅屋」です。我々は日本から接近すべきです。それに、この作業は、我々自身の自己理解に深く食い入っている他者(西欧)の視線からの離脱にも必要なことです。西欧と日本の歴史進化にはある種の《並行性》、《同型性》が見い出すことが可能なため、日本人の《日本像》の中になかなか意識できない歪み、というか光線の屈折が忍び込んでいる危険があるからです。

 今、私たち現代日本人が使用している様々な抽象的語彙は、明治官学アカデミズムの中で鍛錬され洗練されて手にしているものです。そこには、この列島伝来の基層観念に、万葉以来の日本人が苦心惨憺して大陸の漢字文明から学習した抽象語彙としての漢語が覆いかぶさり、そこに明治期以降の漢語化西欧アカデミズムの洪水が上書きされているものが混在しているため、日本人の肉眼なのか、中華文明の眼鏡なのか、19世紀以降の西欧の大学アカデミズムのプリズムなのか、我々が自由自在に駆使している概念や語彙にどのようなバイアスがかかっているのか、なかなか判然としません。それを炙り出す作業としても現代日本人が徳川日本を座標軸として西欧近代を観察することは重要なことなのです。一例をあげてみます。

 19C中欧(現チェコ)の片田舎の修道院で10年間コツコツと観察、実験、考察を繰り返したメンデルは独力で「遺伝の法則」を完成させましたが、西欧アカデミズムでは無視されました。彼の幾つもの斬新な数物的解析法が理解されなかった点もありますが、当時のダーウィニズムの奔流が生物学者たちの関心を生物形質の「変異」にフォーカスさせ「遺伝(定着)」を軽視させたからです。一方、化政期の徳川日本人には変化朝顔の栽培がブームでした。そのため庶民用に何種類も出版されたノウハウ本がベストセラー化していましたが、そこには経験則として「メンデルの法則」と等価な記述が書かれていました。こういう現象は、文明の構造的差異として考察する必要があると考えます。

 他にも、いろいろ中小のテーマはあるのですが、元旦でも1の作業中なので、これで終わります。中途で悪しからず。

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