樺山紘一編著『現代歴史学の名著 』1989年中公新書(中編)
『近代欧州経済史序説』は、西洋の近代経済社会が世界史的膨張をいかにして達成したか、その現実的基礎をなすものは何であったのか、という問いをもって出発する。〔p.102〕
以上のように、大塚久雄は、戦時生産力増強の声がつよまる時勢のなかで、近代西欧の世界的膨張をささえた「生産力」の拡充を問題とした。しかしながら彼は、特殊イギリス的な史実、とりわけ「都市の織元」と「農村の織元」の経営様式を「純粋培養的」にとりだすことによって、この「生産力」の拡充は、「商業資本」の経済外的強制のあらゆる束縛から解放され、等価交換=価値法則が貫徹されたことにともなって、労働の分業と協業の体系をつくりだした「産業資本」の確立をまってはじめて可能となるのだ、と主張していたのである。こうして大塚久雄は、「生産力」の拡充にとって不可欠な等価交換の実現をさまたげている、現実の日本社会の経済外的強制の残存を逆照射し、社会変革の必要性をうかびあがらせたのである。だから『近代欧州経済史序説』は、その全体が、いわば、ひとつの巨大な反語にほかならない。そこには、マルクスへの言及も、難解な表現も、あからさまな社会批判も存在しない。けれども『序説』は、根底的な社会批判の書たりえている。それは、経済理論の歴史化に仮託して現実社会を撃つという自己表明の方法、大塚久雄のポリティークのなせるわざであった。〔pp.104-5〕
戦後になって公刊された高橋幸八郎の『市民革命の構造』には、このような意味でのポリティークはない。より直截に、「日本資本主義論争」以来はぐくまれた問題意識と主張が語られている。それは、フランスにおける社会経済史学の業績、ことに高橋がもっとも信頼し評価していたルフェーブルの「農民革命」論を批判している点に端的に表現されている。〔p.105〕
ルフェーブルの「農民革命」論にたいする高橋幸八郎の批判は、おおきく二点ある。ひとつは、ルフェーブルが「農民革命」を、フランス革命を構成する他の「革命」(「アリストクラートの革命」「ブルジョワの革命」「民衆の革命」)と並列的においたことにたいする批判であり、高橋は「むしろブルジョワ革命(=フランス革命)の中核にこれをおかねばならない」とするのである。もうひとつは、ルフェーブルが「農民革命」の性格を反封建的かつ反資本主義的としたのにたいし、高橋は、少なくとも封建制が根底から廃棄されるジャコバン独裁期までは、その反資本主義的性格を否定している点である。
以上のように、大塚久雄と高橋幸八郎は、「日本資本主義論争」における「講座派」の議論を継承して資本一般の歴史的進歩性を否定した。そして資本を「商業資本」=「前期的資本」と「産業資本」とに峻別し、「封建制から資本主義への移行」を内的必然性をもって推進したのは「産業資本」―その具体的存在形態は、発展段階の異なるイギリスとフランスでは異なるが―のみであると主張した。この主張の背後には、もちろん、資本一般の歴史的進歩性を強調することは商人・高利貸資本による資本主義的推転のもとで残存しつづける日本社会の封建的束縛を廃棄するという課題をわすれさせることになりかねない、という問題意識があったのである。〔p.109〕
12.評者:島田誠
石母田正『中世的世界の形成
』(1946)
本書は四章からなり、それぞれこの地域の歴史に大きな意義をもった人物や集団の名称(藤原実遠、東大寺、源俊方、黒田悪党)が表題となっている。〔p.115〕
鎌倉中期以降、数十年間にわたって東大寺に対して抵抗した黒田悪党の主体は、関東御家人を含む在地武士団であった。それゆえ、悪党の問題は東大寺と在地武士団の対立に外ならなかったとされる。この悪党問題を契機に東大寺は庄民に対する直接支配を放棄せざるをえず、武家勢力を導入してはじめて悪党を没落せしめることができたという。また、この黒田悪党が敗北した原因は板蠅杣の寺奴の意識の残存によるもので、黒田庄における中世的世界の形成は幾度も失敗し、外部からの征服がない限り古代社会が存続し続けたのであるとされる。〔p.118〕
以上、述べてきたことに加えて、本書には隠れた主題が存在している。それは、日本の歴史や社会を論じる際に決して避けて通ることのできないテーマ、天皇制の問題である。〔p.120〕
この問題意識に基づいて、本書では一連の仕掛け、比喩的表現が用いられている。
まず外部から閉ざされて長期間にわたって古代的支配者(東大寺)の下にあり、幾度も中世的世界の形成が試みられながら蹉跌を敗北が繰り返され、その結果古代が再建され続けてきた黒田庄の歴史は、まさしく日本の歴史の縮図であった。次に黒田庄の庄民を寺奴として直接的人的に把握しようとする東大寺の支配体制は、天皇制の暗喩である。そして東大寺の前に次々に敗れ去っていく黒田庄における中世の担い手たち、特に黒田悪党は、天皇制の桎梏を自ら解放することのなかった日本の人民を表している。このように本書は、アジアで唯一の典型的中世を形成しえた日本の中で特に古代的性格が強かった寺社領(黒田庄)を描きながら、その黒田庄が天皇制の下にある日本のメタファーになるという重層的構造を成している。
この重層性が、山間の一庄園の歴史を叙述する本書に普遍性を与え、戦後の日本を生きるわれわれ全てにとって価値ある名著たらしめているのである。〔pp.121-2〕
13.評者:有光秀行
コリングウッド『歴史の観念
』
Collingwood, Robin G.The Idea of History 1946
本書は、「歴史を考える」ということに関する、文字どおり「ラディカル」な思索の一成果として、大きな影響力をもってきた書物である。〔p.123〕
彼の敵は、なにより、既存の「切り貼り歴史」すなわちさまざまな権威の証言をただ抜き出し貼りあわせて構成した歴史であり、自然科学的知を崇める実在論であり、実証主義的歴史であった。こういった歴史(観)においては、歴史的事実は歴史家の外に実在するものであり、スペクタクルの如くにながめられるものなのであるが、これは歴史に対する無知に由来する、とコリングウッドは言う。これに対し彼が立つのは、以下で明らかになるように、別の知的潮流の中である。ヴィーコ(G. Vico)、シラー(F. Schiller)、ルソー(J-J. Rousseau)、ヘーゲル(G. W. F. Hegel)、ブラッドリー(F. H. Bradley)、オークショット(M. J. Oakeshott)、ジンメル(G. Simmel)、そしてディルタイ(W. Dilthey)、クローチェ(B. Croce)、‥‥彼らの思想の批判的継承の上に成立したコリングウッドの思想は、認識者の精神を重視する、いわゆる観念論の流れの中にある。〔p.124-5〕
コリングウッドによれば、歴史は過去に考えられ、ある行為を導くに至った思考あるいはそれを示す出来事を対象とし、それを歴史家は追体験によって認識するのである、ということであった。ここでまずもって問題となるのは、その「思考」をどのような範囲で考えるか、ということであろう。先に、シーザーの思考の追体験に際して自分の全精神能力と政治学に関する自分の全知識とを集中させねばならない、とあった。また、それに続けていわく、「歴史家は過去に思考されたことを単に追体験するのではなく、自身の脈絡内において追体験する。従って、追体験する際には批判し、過去の思考に関して自身の価値判断を形成し、過去の思考中に識別し得る誤謬は、すべてこれを訂正する」(邦訳書二三一頁)。・・・。表面的な状況判断を支えるものとして、ある社会に独特の価値の体系、認識の型というものがあるはずであり、そこに理解が至らなければなるまい。歴史学とは究極的には「過去」の持っている認識のパラダイムを明らかにし理解することをめざすものであろうし、それはまた、われわれが自明のものとして持つパラダイムの相対化あるいは組替えをも要求する、よりダイナミックな知的営為であるはずである。〔p.130-1〕
〔後編①に続く〕
■本書採録書リスト
樺山紘一編著『現代歴史学の名著
』1989年中公新書
津田左右吉『文学に現はれたる我が国民思想の研究
』
ホイジンガ『中世の秋
』
パウア『中世に生きる人々
』
ヒンツェ『身分制議会の起源と発展
』
チャイルド『文明の起源
』
ピレンヌ『ヨーロッパ世界の誕生
』
ブロック『封建社会
』
ルフェーヴル『1789年―フランス革命序論
』
ブルンナー『ラントとヘルシャフト
』
**************〔以上、前編〕
大塚久雄『近代欧州経済史序説
』
高橋幸八郎『市民革命の構造
』
石母田正『中世的世界の形成
』
コリングウッド『歴史の観念
』
**************〔以上、中編〕
ブローデル『フェリペ2世時代の地中海と地中海世界
』
カー『ボリシェヴィキ革命
』『一国社会主義
』
エリクソン『青年ルター
』
ホブズボーム『反抗の原初形態
』
テイラー『第二次世界大戦の起源
』
フーコー『言葉と物
』
ヴェントゥーリ『啓蒙のユートピアと改革
』
ウィリアムズ『コロンブスからカストロまで
』
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