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2018年5月 3日 (木)

人的資源の比較文明論

 どういう文明、文化を背景に持った社会にも、歴史的に形成された、理想的人間像、誰もが憧れるモデルがあります。前近代の社会は、基本的にどこでも身分社会を形成していましたから、前近代においては、身分ごとにお手本になるロール・モデルがあったことになります。ところが、前近代から、中国では、社会の上下に関係なく、理想の人間像は君子jūnzǐでした。

 宋明の儒家(Neo-Confucianism)の登場と科挙の制度化以前の、秦、隋、唐朝のような中華王朝であれば、典型的な、多民族国家的な貴族社会=身分社会だったのですが、唐王朝衰亡後、五代十国時代の動乱を経て、中華王朝では貴族の力が衰弱し、身分原理から能力原理へ、貴族から士大夫への文明史的転換が起こります。

 それを学知的に正当化、理論化したのが北宋の周敦頤、程顥、程頤で、いわゆる宋学の勃興です。ほかにもいろいろあったそれら新儒教を総合し、教科書化したのが、南宋の朱熹です。その能力原理の政治制度的表現が科挙でした。南北の宋王朝では未完成だった科挙は、モンゴル王朝の元で、漢人知識人への慰撫策として整備完成され、明朝においてイデオロギー的にも、制度的にも前近代としてはほぼ完備した、能力原理が貫徹する王朝国家ができあがります。

「人は学問で知性を鍛え、知識を積み、心を修行して徳を磨けば、誰でも聖人へ至れる」

 前近代社会においては、この破天荒な信条は、中国王朝の骨格となります。そして「聖人」の緩和化した理想像が、士大夫であり、君子となります。また、孔子や朱子の、振袖のような衣の肖像画から一目でわかりますが、君子、士大夫は肉体労働をしてはなりません。

「好人不当兵、好鉄不打釘(好い人は兵隊にならず、好い鉄は釘に使わない)」

という表現が中国語にありますが、これは別に中華王朝の社会に平和主義があった訳でも反戦思想が脈打っていた訳でもなく、士官(officer)なら君子の仕事であり、士官に顎で使われる兵卒(private soldier)は君子のビジネスではないからです(朱子も王陽明も軍司令官の経験があります)。これでは、中国において、社会の「手足」である「職人」が誇りを持てる訳がなく、可能性と機会さえあれば、皆が、社会の「頭」である士大夫になりたがるのは、避けられません。

 君子を英訳すると gentleman ですが、イングランドのジェントルマンも社会の上下に関わらず憧れの人間像です。「ハリーポッター」が英国で受けるのも、そのジェントルマン的生活様式に一つの原因があります。イングランド人における、双六でいう「上がり」の人生がジェントルマン的生活様式でしょう。ビジネスで成功すると、誰もが「上が」りたがり、もしくは、成功したビジネスマンは自分の子、孫にそういう生活をさせたいと願うので、イングランドの産業資本主義は持続的な成長をできませんでした。地主=地代生活者や金融資産家=金利生活者、ならジェントルマン的生活の範疇だからです。

 北米資本主義がイングランド出自であるにも関わらず、未来永劫「上が」らず、走り続けるのは、プロテスタンティズム的な強迫神経症的傾向という理由のほかに、イングランドを脱出した彼らにとり、イングランドのジェントルマン的価値観を否定することが彼らのアイデンティティー形成の一部だったからでもあるでしょう。

 徳川日本なら、農村民なら篤農家、都市民なら大店の主人、というモデルでしたが、武士は微妙で、18世紀の徂徠学革命以降、儒家の理想像の注入もあり、また松平定信の寛政の改革後、宋明学の各種テキストの教科書化が進展して、社会の上下層に儒家的な、朱子学的な能力主義が蔓延しました。

 その一方で、社会の各分野における、「芸(art, technique)を極めること」で「役に立つ」ことが価値を持つ、という徳川日本の、身分原理というよりは分業原理である「役の原理」も日本社会の骨格に根強く残り、明治以降のホワイトカラー的(朱子学的)立身出世主義とブルーカラー的(名人芸的)職人主義を形成します。その意味では、日本の仕事原理、仕事倫理は、中国・イングランドと、米国の中間的なところにあり、ちょうど日本資本主義の立ち位置と同じようなところとなっています。

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