誰にも言えそうなことで、誰も言えなかったこと(2)/ What anyone could have said and no one else could have said (2)
興味深いエッセイがありました。
田中成典「価値を生み出す」、大学への数学 2018年 05 月号 [雑誌]P.1、東京出版、所収
筆者は、
誰しもが心になんとなく感じつつ、しかしうまく表現できないもの、それがあるとき概念や言葉として生み出され、記述され、人々に共有されていく、こういったことが「新たな価値の創出」なのではないかと私は思う。
と述べます。筆者が幼少の頃、感銘を受けたサトウハチローの「小さい秋」がそれだと言う訳です。筆者は数理科学者なので、アインシュタインとリーマン幾何学、ハイゼンベルクと行列力学、も例に挙げます。そして、
思うに、「この世にまだ存在していなかったもの」が新たに形を与えられ、眼の前に現出するとき、人は感動を覚え、また人々に使われて役立ちもする。そこには新たな概念と表現の創造があり、記述の地平の拡張がある。
とされます。さしずめ、私の関心でいえば、Kantの〈物自体 Ding an sich〉などはそれになる気がします。物理学なら、基本概念の〈場 field〉もそうでしょう。
そして、無から価値を創出するには、私たちの限られた生に比べて、選ぶべき選択肢が膨大で、「組み合わせ爆発」をおこしてしまう、と言います。そこで必要となるのが、
情熱、エネルギー、そして愛情(あるいは憎しみ)である。特に「愛情」は人に向けられるにせよ、物に向けられるにせよ、繰り返すことを苦にさせない不思議な力を持つ。
と書かれています。
学芸における価値の創出には「名づけ」が決定的に重要であること、また、その果実を手に入れるまでには、不屈の根性が必要だが、それを支えるのは理知でなく、「愛」や「憎しみ」という情念であること、この2点がこのエッセイのポイントですが、これを人文系ではなく、計算機物理学者が書いていることに少々驚かされました。図書館等で一読されることをお薦めします。
※弊ブログ記事もご参照を乞う。
誰にも言えそうなことで、誰も言えなかったこと(1)
人は言葉の外に出られない
※下記も御参照を乞う。人間は、《世界》を《言葉》によって《分節化》して認識し、その言語化された認識を他者とシェアします。人間集団の《文化進化》が、他の生物種の《表現型進化》のタイムスケールと比較して異常に短い(変異が異常に速い)のは、このためです。換言すると、他の動物たちは非常に長いタイムスケールでの身体器官の変化で、言語使用を不要としていることになるでしょう。
「蛾やハエが空中で静止したり、急旋回したりするのはなぜなのか。どんな優れた安定性制御システムを備えた飛行機でも一旦失速すると直ちに墜落してしまうが、昆虫が突風の中を悠々と飛び抜けて決して墜ちないのはなぜなのか。我々は、空気力学のさまざま理論を蓄積し、ジャンボジェット機やステルス戦闘機を、統一された「定常理論」に基づいて、設計できるようになった。だが毎秒20 ~ 600回も羽ばたく昆虫の羽がなぜ自重の2倍も以上の揚力を発生できるかについては、いまだに多くの疑問が残っており、理路整然と説明できる理論がないと言っても過言ではない。」
劉 浩「生物飛行のシミュレーションと小型飛翔体」 - 日本流体力学会(2005/01)
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