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2018年6月16日 (土)

ライプニッツからマンデヴィルへ(From Leibniz to Mandeville)

 以下、村上淳一氏の著から2箇所引用します。

弁神論がこのディレンマを脱却する一つの道は、悪を善とみなすことである。マルクヴァルトによれば、そもそも、カントが「可能性(とりわけ経験)の条件」としてア・プリオーリを正当化したのは、神は「可能性の条件」として悪を残したするライブニッツの弁神論から示唆を受けたものであった。弁神論において、悪は善の「可能性の条件」としてそれ自体善とみなされるのである。
村上淳一『仮想の近代 西欧的理性とポストモダン』1992年東大出版会、p.167

 これは、マンデビルBernard de Mandeville(1670-1733)の1714年の著作、蜂の寓話 The Fable of the Bees 、の副題〈Private Vices,Publick Benefits 私悪すなわち公益〉と同型の考え方とみなせます。そして、

ところで、こうした「悪の善化」はその反面、伝統的に善とされてきたものを悪に転化させることによって烈しい対立を生むが、対立の激化はそれ自体悪であるから、緩和の道が―弁神論的に―探られることになる。「補償」(Kompensation)による緩和、つまり存在する悪は善によって埋め合わせられるという発想が、それである。この「弁神論的契機」はすでにライブニッツにも見られるが、マルクヴァルトは、それが現代における「哲学的人間学」の基本的構図となっていることを指摘する。
同書、P.168

と述べられています。

 ここまでくれば、存在する悪は善によって埋め合わせられるという、「補償」(Kompensation)なる概念は、功利主義 utilitarianism の「快楽計算」(hedonic calculus、得られる快楽と避けられない苦痛の量の差し引き計算)と対応することが容易に見て取れます。

 とするなら、スコットランド啓蒙(Scottish Enlightenment)からイングランド功利主義(England utilitarianism)への流れは、神なき時代の世俗化した、彷徨えるキリスト教思想ともいえるでしょう。

Mandeville自身が、Rotterdamに生まれ、Leiden大学で学んだ生粋のオランダ人で、名誉革命後のAnglo-Dutch complexの機運に乗り、Englandに渡ったDer Fliegende Hollander(彷徨えるオランダ人)でした。

1) G.W. Leibniz, Essais de theodicee sur la bonte de Dieu, la liberte de l'homme et l'origine du mal(1710)

2) Bernard de Mandeville, The Fable of the Bees(1714)

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