« 総じてイギリス人が手をつけないほど悪いことは世の中に一つもない(THE MAN OF DESTINY, BERNARD SHAW, 1898) | トップページ | 少年易老學難成 ・・・ の作者は《朱子》ではない »

2018年11月 9日 (金)

いつも季節は秋だった

■ふたりのM
森川義信(昭和十七年八月十三日ミイートキーナで戦病死)
茂木徳重(ビルマにて戦病死)


「死んだ男」 鮎川信夫

たとえば霧や
あらゆる階段の足音のなかから、
遺言執行人が、ぼんやりと姿を現す。
――これがすべての始まりである。

 

遠い昨日・・・・・・
ぼくらは暗い酒場のいすのうえで、
ゆがんだ顔をもてあましたり
手紙の封筒を裏返すようなことがあった。
「実際は、影も、形もない?」
――死にそこなってみれば、たしかにそのとおりであった。

 

Mよ、昨日のひややかな青空が
剃刀の刃にいつまでも残っているね。
だがぼくは、何時何処で
きみを見失ったのか忘れてしまったよ。
短かった黄金時代――
活字の置き換えや神様ごっこ――
「それがぼくたちの古い処方箋だった」と呟いて・・・・・・

 

いつも季節は秋だった、昨日も今日も、
「淋しさの中に落葉がふる」
その声は人影へ、そして街へ、
黒い鉛の道を歩みつづけてきたのだった。

 

埋葬の日は、言葉もなく
立ち会う者もなかった
憤激も、悲哀も、不平の柔弱な椅子もなかった。
空にむかって眼をあげ
きみはただ重たい靴のなかに足をつっこんで静かに横たわったのだ。
「さよなら、太陽も海も信ずるに足りない」
Mよ、地下に眠るMよ、
きみの胸の傷口は今でもまだ痛むか。

|

« 総じてイギリス人が手をつけないほど悪いことは世の中に一つもない(THE MAN OF DESTINY, BERNARD SHAW, 1898) | トップページ | 少年易老學難成 ・・・ の作者は《朱子》ではない »

文学(literature)」カテゴリの記事

鮎川信夫 (Ayukawa, Nobuo)」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: いつも季節は秋だった:

« 総じてイギリス人が手をつけないほど悪いことは世の中に一つもない(THE MAN OF DESTINY, BERNARD SHAW, 1898) | トップページ | 少年易老學難成 ・・・ の作者は《朱子》ではない »