日本人と論理(1)
下段の抜粋は、以下の書籍から。忘年会の話題に、「日本人と合理性・非合理性」が出てきたのですが、帰宅後、下記の記述を思い出したので、備忘とします。多少、個人的に異論もありますが、それは近日中に、ということでご容赦。
末木剛博『東洋の合理思想』1970年、講談社現代新書、pp.18-20
序章 東洋思想と論理、<3> 日本思想の特性、より
ほとんど情緒に終始
日本では、千年以上前に仏教論理学の因明が輸入され、その研究書も多数出た。代表的なものとしては、現存する善珠の『因明大疏明燈抄』などがある。しかし、日本思想の主潮は情緒の尊重にあり、本居宣長流にいえば「もののあはれ」にある。したがって仏教内部にあっても、その論理学はあまりかえりみられず、まして仏教外への影響はまったくみられない。「幽玄」という概念を中心とする平安時代の和歌の美学思想はもとより、鎌倉仏教にも足利時代以後の能・茶道・華道・連歌・俳諧などの美学思想にも、また江戸時代の儒教思想にも、論理への反省はほとんど見られない。
そのうちでやや論理的なものを拾ってみれば、鎌倉時代の慈円和尚の『愚管抄』がある。これは歴史哲学の書として有名であるが、そのなかで歴史は理に従って変化すると言っている。この「理」という概念は、華厳思想の理法界・理事無礙法界などの「理」という概念に由来すると考えられるが、ともかく諸現象の普遍的原理のことである。
この原理をはっきりととらえれぱ、論理もまた自然と明らかになるはずだったが、『愚管抄』には、そこまでの緻密な分析はないし、また、慈円の思想を継承して、歴史その他の諸現象を合理的に見てゆこうとする思想家もあらわれなかった。彼のようなすぐれた合理性が思想の中心になるのは、江戸時代も中期以後である。
無論理・非合理の文化
しかし、弁証法的な論理は鎌倉仏教のなかにもいくつかその実例を見ることができる。たとえば親鸞が信心の過程を三段階にわけて論じた「三願転入」の説は、明らかに弁証法を構成している。また道元の著書には、さらに頻繁に弁証法が姿をみせている。仏教の窮極である解脱は非合理な体験であるが、日常の合理的な知性からそれに向かうには、どうしても合理性を自己否定しなくてはならず、したがって、おのずから弁証法的とならざるをえなかったのである。しかしこれも、一種の思考形式として定式化されたわけではなく、いわば非措定的に用いられているだけであり、シナ天台などにみられる定式化された弁証法とは大いに異なるものがある。
これを要するに、情緒本位の日本思想にあっては、知性は不当に冷遇され、論理はほとんどかえりみられなかったのである。この態度は、情緒を育て洗練する上ではたしかに大きく作用し、日本文化は、論理なき非合理の文化として、審美の面で無類の発達をとげた。それは今日なおさかんな歌舞伎や茶道などを見ても容易に納得できることである。
しかし、論理を欠くことは不合理性という疾患をうみ、それが古くからの日本文化の一つの弱みとなった。特に太平洋戦争の無謀さや、最近多発している殺人的な公害などを見ると、論理を欠くものの不合理性がどんなに恐ろしいかを、痛切に思い知らされる。
以下、本書では、仏教を中心としたインドの論理思想と古代シナのそれとを訪ねてみることとする。日本の論理思想についてはいずれ機会をみて論じたいが、本書では一切ふれないつもりである。
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