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2019年4月13日 (土)

感覚の階梯、あるいは改訂

 経済成長とはなんでしょうか。辞書的定義は、国民経済の規模が、年々拡大すること、となります。

 もっと直感的言うと、私たちが使用する日用品、食べ物、こういったものが、年々、その量が増え、品質が向上すること、また、私たちの暮らす住居や使用する建築物、都市や公共インフラがより大きくなったり、より便利になったりすること、と考えてよいでしょう。

 これは個人の感覚レベルで言えば、年々、自分の着るものがより豪華になったり、高級になったりすることでしょうし、これが国民全体が一様にそれぞれの所得に応じて、社会全体に感じられるようになることでもあります。

 とすれば、経済成長とは個々人の側から言えば、年々の環境の変化と同義です。それも数百年間といった「じわーっ」とくるようなペースではなく、数年とかせいぜい、十数年程度で、「ピンピン」と肌でわかる変化です。

 人は、日常に異変がおこれば驚きます。ドキドキしたりします。これは一種の興奮状態です。つまり、経済成長とは、人間の感覚レベルで言えば、常態化された軽い興奮の持続、ともみなすこともできます。

 この事態を柳田国男はこう言っています。

・・・、それよりも強い理由は褻(け)と晴(はれ)の混乱、即ち稀に出現する所の昂奮といふものゝ意義を、段々に軽く見るやうになったことである。実際現代人は少しづゝ常に昂奮して居る。さうして稍ゝ疲れて来ると、始めて以前の渋いといふ味はひを懐かしく思ふのである。
柳田国男『明治大正史 世相篇』東洋文庫No.105、平凡社 、p.11

 現代の私たちが、近代経済成長が開始する以前をみるとき、どうにも分からなくなる時があるのは、ある種の「感覚」にズレ、あるいは断絶がある、からということも頭に入れておくべきでしょう。

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