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2019年5月15日 (水)

内田樹「言葉の生成について」2016年12月

 レヴィナス(Emmanuel Lévinas)関連で、この内田樹氏の素晴らしいエッセイ(講演記録)に出会いました。

言葉の生成について - 内田樹の研究室

 これまで、内田樹氏について名を聞くばかりで著書を読むことはありませんでしたが、今回いくつかの偶然のおかげで読む機会を得ました。

 私にとり、興味深くかつ重要な点がいくつもあるのですが、それを一気には書けそうもないので、とりあえず一つ書いてみます。

 このエッセイの後ろから1/6ぐらいの箇所に、現代の東/東南アジアの中において、古語辞典1冊あれば、母国語の古典にアクセスできる環境が存在するのは現代日本だけである、という指摘があります。逆に言うと、特殊な専門教育を受けた者以外の一般国民は母国語の古典を読めない、というわけです。

 現代中国の事例はありませんでしたが、現代ヴェトナム、現代韓国の、著者の生彩ある体験が引かれていて強い説得力があります。国語表記する文字体系が変わってしまったおかげで、現代ヴェトナムの青年たちは祖父母が書いた日記も手紙(チュノム chu nôm 〓喃)も読めない。現代韓国の40代以下の知的エリートは寺院の扁額(漢字)を読めない。
※註 右画像参照。「世界の文字」 様の「チュー・ノム(〓喃) ベトナム chu nom,英 the former Vietnamese script」記事より拝借。チュノム文学の最高峰とされる長編叙事詩、『金雲翹』(キム・ヴァン・キエウ、ベトナム語: Kim Vân Kiều)。ベトナム(阮朝)の文人グエン・ズー(阮攸)が中国の小説『金雲翹伝』を翻案したもの(19 世紀前半)、とのことです。


※関連、弊ブログ記事  東南アジアにおける《国学》の弱さ

 内田氏はそれは本質的に危険なことだと指摘します。「自国語で書かれた古典のアーカイブへのアクセスの機会を失うということ」は、イノベーションの力を失うことだと言います。なぜなら、「人間は母語でしか、イノベーションできないから」であり、「母語のアーカイブこそはイノベーションの宝庫」だからです。

 ではなぜ、母国語の古典がイノベーションの源泉なのでしょうか。それは、「いまだ記号として輪郭が定かでない星雲状態のアイデアが『受肉』するのは母語においてであるというのは経験的に確か」であり、「喉元まで出かかっている『感じ』が言葉になるのは圧倒的に母語において」だからです。

 内田氏は文系出身の学者/武道家なので、文系の知的イノベーションに議論を限定していますが、じつはこれは自然科学でも同じです。ノーベル賞受賞者数では、西/東/東南アジアにおいて、日本の受賞者数が図抜けています。第二グループが、インド、中国、オーストラリアです。これは現代日本が豊かな先進工業国だからだけではありません。

 北里柴三郎は1901(明治34)年にノーベル生理学・医学賞候補に挙がっています。1911(明治44)年に秦佐八郎がノーベル化学賞候補、本多光太郎が1932(昭和5)年にノーベル物理学賞候補になっています。長岡半太郎が中央に正電荷を帯びた原子核があり、その周りを負電荷を帯びた電子がリング状に回っている土星型の原子モデルを発表したのは1904年(明治37)年です。

 明治の終盤といっても、その頃の日本経済は、開発途上国に毛の生えたぐらいの、ようやく中進国の下レベルでした。それでも、西欧の学問を体系的に吸収し始めてから、約30年でオリジナルな自然科学上の議論を提出できていたことになります。これは日本の西洋化の初期に、教育システムの中で、母国語テキスト、母国語話者の教育者に切り替えることができ、知的議論、知的試行を母国語というプラットフォーム上で実行することが可能となったからだ、と考えるべきでしょう。5種の文字を運用する日本語の造語力という点も見逃せませんが。

 しかし、内田氏が見逃している母国語の断絶問題が日本にもあります。この話題は、次回にします。

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