cogito ergo sum(われ思う、故にわれ在り)
デカルトのあまりにも有名な、「cogito ergo sum(われ思う、故にわれ在り)」ですが、これはラテン語の表記です。しかし、デカルトは、それまでのラテン語で語り、書く学識者だけを相手とすることを嫌い、母国語であるフランス語で『方法序説』(1637)を書きました。ということは、己の思惟の出発点とする記念すべき原理を、わざわざラテン語表記にすることは道理に合いません。はたして、「cogito ergo sum」という句は、『方法序説』にあるのでしょうか。
まず、『方法序説』(1637)です。第4部に、「je pense, donc je suis」と斜字体のフランス語(ラテン語ではなく)、で書かれています。下記参照。
※参照 デカルト『方法序説』1637年、レイデン(谷川多佳子訳、岩波文庫版1997年)
次は、デカルト本人がラテン語で書いたものはないか、ということですが、一応あります。『哲学原理』(1644)第一部7、10にあります。下記。
ただし、巷間に流布しているものはと微妙に異なって、これも斜字体「ego cogito, ergo sum」で同頁の近くに二箇所あります。意味は同じです。「われ思う、ゆえにわれ在り。」流布している形と比べると、前半部の主語が省略されていないようです。
『方法序説』はより多くの人々へ開かれた言説ですが、『哲学原理』は学識者への再説ですから、こういう違い、一方はフランス語表記、他方はラテン語表記、は当然あり得るでしょう。従いまして、この違いがデカルトの主張に根本的な違いをもたらす訳ではありません。別の機会に、ホッブズの「人間は人間にとり狼である。」のフレーズは『リヴァイアサン』にはない、という記事を書いたことがありますが、それと似たようなことと言えそうです。以上、「cogito ergo sum」にまつわる既成観念について、事実確認をしてみました。
※homo homini lupus.「人間は人間にとって狼である」(ver.1.2)
デカルトの主張に関して言えば私はこう思います。17世紀、宗教戦争が荒れ狂い、人倫的秩序が崩壊し、混沌とした寄る辺ない欧州世界を、確実な根拠から立て直そうとしたデカルトの悲壮な知の冒険には、敬意を払うに吝かではありません。そしてこの試みが、近代自然科学の出発点になったということにも、自然科学の恩恵をたっぷり享受している21世紀に生きる私にとりとやかく言うこともできない気がします。
ただ、一方で「確かな自己」のというのは、自分一人だけでは成立できず、常に他者から(あるいは世界から)のフィードバックがあって初めて納得できるものでは?、と考えてしまいます。いま、地球上に自分一人しか生き残っていないなら、何と虚しい世界か、とも思います。
デカルトは、母国の煩わしく、宗教的すなわち政治的に常に危険をはらむ人間関係から離脱して、北部ネーデルランドの大都市へ逃れます。それはどこかの山中に孤独に隠遁することとは正反対で、活気ある人々の海の中に隠れたのでした。そして、大都市の喧騒の中、精神は静謐さを得て、密かにではありますが、改めて「世界」へ、「他者」へ、自己のメッセージを構築し、再びコミュニケートを再開しています。そうして自分のアイデアの確かさを確認していきます。デカルトは基本的に当時の貴公子ですが、意外に人付き合いの上手な人物だったかもしれません。彼が仮に一人になることも辞さなかった(それでも、アイデンティティが揺らがなかった)のは、そのような身分的背景とともに、イエズス会で教育されたクリスチャンであったことも与って力があったとも考えられます。
※参照、弊ブログ記事。
デカルト『方法序説』1637年、を読む
※参照
初版『方法序説』仏文
Discours de la méthode pour bien conduire sa raison et chercher la vérité dans les sciences , plus la dioptrique, les météores et la géométrie qui sont des essais de cette méthode | Gallica
『哲学原理』ラテン語
Renati desCartes Principia philosophiae : René Descartes : Free Download, Borrow, and Streaming : Internet Archive
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