「左翼 left wing」の語源について
21世紀の日本において、ほぼ死語となった感がある、「左翼」。
かつて、共産主義、マルクス主義そのもの、あるいはそれに共鳴する政治的立場を象徴する言葉であったことは、ある年齢以上の人々には自明のことでした。最広義では、「平等」と「自由」を天秤にかけて前者を重視する人々も、この語で言われていました。
元来は、18世紀末、フランス革命の渦中において、1792年のフランス国民議会の議場で、議長席からみて左側が急進派(ジャコバン派 Jacobins)、中央が中間派、右側に穏健派(ジロンド派 Girondins)が議席を占めていたことに端を発します。
※ 仏 gauche(ゴウシェ) 独 Linke(リンケ) 英 left
ヨーロッパの政治情勢の中で普通名詞化しますが、日本には大正中期から翻訳語として使われました。それが「左翼」であり、類義語「左傾」「左派」「左党」、等です。しかし、日本における「左翼」タームには、別の歴史的起源もありそうだと最近考えています。
漢和辞典で「左」を引くと、②あたりに、〈低い地位〉という意味があります。例えば、「左遷」(組織の中でその地位が下がること)などは現代でも普通に使われてます。そして④あたりに、〈不正な〉という意味があり、用例として「左道(さどう)」とあります。これは古代中国から使われている語で、出典は、礼記‐王制「析言破律、乱名改作、執左道以乱政殺」です。小学館日本国語大辞典で「左道」を引くと、「(1)正しくない道。不正な道。邪道。」とあり、用例も、8世紀の『続日本紀』から始まり、19世紀の『南総里見八犬伝』「件の術は左道(サドウ)にして、勇士の行ふべきものならず」まで、6例紹介されています。つまり、日本語の歴史的用例としては、「左」の「道」は、道徳的・倫理的にネガティブな意味で使われてきたことが伺えます。
Karl Marxの Das Kapital 第1巻が「明治維新」の前年(1867年)にハンブルグで出版されてから、高畠素之全訳日本語版(1920~24)が出されるのが半世紀後の大正年間です。マルクスの名は1900年前後には明治人の耳にもチラホラ届いていた一方で、1910(明治43)年の大逆事件のframe-upに見られる、「時代閉塞の状況」(石川啄木)が明治の御代に充満し始めていました。明治日本のシステム管理者たちも、欧州から流入する「left wing」に警戒感を高めていたでしょう。「左翼」という日本語が誕生したのも、ちょうどその頃です。その「左」観念に、日本語在来の語感が意味的干渉を起こすのは避けられなかったのでは?、と考えた次第です。「左翼」は、その誕生から stigma を負う運命にあったと言えそうです。
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